BOOK REVIEW : 日米開戦陸軍の勝算 「秋丸機関」の最終報告書: 林 千勝 祥伝社新書
BOOK REVIEW : 日米開戦陸軍の勝算 「秋丸機関」の最終報告書: 林 千勝 祥伝社新書
大日本帝国陸軍は、昭和14年秋、我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせました。
我が国に経済力がないことを前提として、対英米の総力戦に向けての打開策を研究するためです。
開戦のわずか2年前のことです。
この「陸軍省戦争経済研究班」の設立を企画した中心人物は、陸軍省軍事課長であり大佐であった岩畔豪雄という名の人物です。
彼は中野学校を設立した戦略家でした。
この研究機関は「秋丸機関」とも呼ばれました。
岩畔大佐の意を受けて秋丸次郎中佐が班を率いたからです。
秋丸中佐は、「仮想敵国の経済戦力を詳細に分析・統合して弱点を把握すると共に、我が方の経済戦力の持久力を見極め、攻防の策を講ずる」ことに最善を尽くすことを己に誓うに至るのです。
秋丸中佐は、「研究班」の組織の中で最も重要な位置付けとなる英米班を立ち上げるにあたって、治安維持法違反で検挙され保釈中の身であった、マルクス経済学者で東大経済学部助教授の有沢広巳を主査に招きました。
有沢は、総力戦と統制経済の大家として名声を獲得し、この分野の著作や論文を世に出していました。
帝国陸軍はきわめて合理的でした。表面的なイデオロギーには囚われていませんでした。
「研究班」は、資源等が少ない「持たざる国」日本及び「持たざる国」のドイツのあるべき戦争の姿、総力戦としての戦争戦略の本質を理論的に明示しました。
同時に、対英米戦に向けて、英米の経済抗戦力についての深い洞察と戦争シミュレーションとを、開戦半年前の昭和16年7月までに確実に行っていたのです。
「軍事行動にによって占領した敵国領土の生産力をも利用し得る」こと及び広域経済圏の生産力が対長期戦の経済抗戦力として利用され得るに至る」ことを「研究班」は理論的に明示しています。
「帝国陸軍の科学性と合理性が、大東亜戦争の開戦を決めた」
昭和16年7月、杉山参謀総長ら陸軍首脳部への「戦争経済研究班」の最終報告は、現存する諸報告書その他諸文献を総合すると、
「英米合作の本格的な戦争準備には1年余かかり、一方、日本は開戦後2か年は貯備能力と総動員にて国力を高め抗戦可能。
この間、輸入依存率が高く経済的に脆弱な英国を、インド洋(及びドイツが担当する大西洋)における制海権の獲得、海上輸送遮断やアジア植民地によりまず屈服させ、それにより米国の継戦意思を失わせしめて戦争終結を図る。
同時に、生産力確保のため、現在英、蘭等の植民地になっている南方圏(東南アジア)を自給自足圏として取り込み維持すべしというものです。
正に時間との戦いであり、日本は脇目も振らずに南方圏そしてインド洋などを抑えるべしです。
これに対して、杉山参謀総長は「調査・推論方法は概ね完璧」と総評しています。
日本軍のインド洋での作戦を含む西進思想は、ここから導き出されたものです。
そしてドイツの対英米戦略との密接な連関性、あるいは完全な一致がありました。
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」は、昭和16年11月15日 大本営政府連絡会議にて、大日本帝国の戦争戦略として正式決定されました。
「山本五十六連合艦隊司令長官が大東亜戦争を壊した」
合理的な大東亜戦争の戦争戦略、「腹案」の機軸を成す西進戦略を壊したのは、山本五十六連合艦隊司令長官だったのです。
山本長官は、及川海相充て書簡「戦備に関する意見」にて「日米戦争に於いて我の第一に遂行せざるべからざる要項は開戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃破して米国海軍及び米国民をして救う可からざる程度に其の士気を沮喪せしむること是なり。」と述べています。
ご存知の通り、真珠湾攻撃は真逆の結果を招いたのです。
士気を沮喪せしむるどころか、米国民の戦意を猛烈に昂揚させました。
対枢軸開戦と同時に始まる米国の戦争準備を劇的にスピードアップさせ、米国が猛烈な勢いで供給力を最大化することを可能としたのです。
ドゥーリトル空襲が影響して「腹案」を無視したミッドウエー作戦が6月4日に正式に実施となったのです。
結果は、ご存知の通り日本の大敗北です。
再びのインド洋作戦、「腹案」への回帰のチャンスが我が国に巡って来るのです。
昭和17年6月21日、ついにドイツ軍がリビアのトブルクへと突入しました。
誰が見ても枢軸側の画期的な勝機です。
これを受けて急遽6月26日に日本海軍は、再編した連合艦隊を投入するインド洋作戦を決定。
しかしながら、またしてもここで山本長官がこのチャンスを壊したのです。
連合艦隊に引きずられた海軍は「腹案」をはるかに逸脱して米豪遮断の準備を進めていました。
そしてガダルカナル島の飛行場を巡る戦いで多くの搭乗員を含む陸海軍兵、航空機と艦艇、石油を失ったのです。
全く無意味な消耗戦でガダルカナル戦は明らかな失敗であり、その後この損失を回復することは不可能でした。
ここに、インド洋作戦を始めとする西進戦略はすべて崩壊、日本の戦争戦略は完全に破綻したのでした。
山本長官らの戦争戦略からの逸脱が意図せざる太平洋戦争へという地獄へと転落させ、大東亜戦争を遂行不能に陥れたということです。
英霊たちの山本長官に対する怨嗟の声が聞こえてきます。
この時点で日本は、大東亜戦争に敗れたのです。
山本五十六は、何故、負ける采配をしたのかという疑問が大いにありました。
共産主義者の風見章たちと何故、交流があったのか?
米内光政、永野修身、山本五十六たちが風見章たちとの交流があったことから、共産主義者ではないだろうが、親派だったのでしょう。
山本は、20代からアメリ滞在、30代でハーバード大学に留学しています。
この間にハニートラップなどで共産主義者に取り込まれたことがあったのでしょうか?
風見と山本たちは、何故頻繁に文通していたのか?
風見が山本へ手紙を出すとき、息子に持たせたことがわかっています。
しかし、終戦になったとき、風見は、山本たちの手紙類を燃やしてしまったので、内容は永遠にわかりません。
日本海軍がこのインド洋作戦で東洋艦隊を再度破り、インド洋を制圧した場合、インドや豪州からイギリス本国への原材料・食料の輸送ルート、ペルシャ湾からの石油の輸送ルート、ソ連や蒋介石政権への支援ルート、アフリカ東岸回りでの
インドやエジプトへの兵員・武器の輸送ルートが遮断され、結果北アフリカで独伊軍が勝利し、チャーチル政権は打撃を受けイギリスが戦争から脱落する可能性が大きかったのです。
まさにドイツ・日本の枢軸側の絶好のチャンスでした。
連合艦隊司令長官の山本が理解していなかった筈はありません。
やはり連合国のスパイだった可能性があります。
司令長官が別の人だった場合は、勿論、インド洋作戦に全力で当たり、イギリス東洋艦隊を壊滅したでしょう。
著者が言いたいのは、開戦を決意した陸軍は、無謀にも勝算のない戦いにやみくもに突入したのではないと言うことです。
帝国陸軍は、科学的な研究に基ずく、合理的な戦争戦略を準備していたのです。
アメリカは、日米戦を帝国陸軍を主体とする「軍国主義者」と「国民」との戦いという架空の図式にすり替えました。
アメリカのWGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝工作)は、見事に成功して戦後74年たった現在も洗脳された日本人が多いのです。
「戦後レジーム」からの脱却はいまだ果たされていないのです。
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