マッカーサ―が認めた米国の失態 ライズアップジャパン

今日から6月13日までこちらの最新動画を公開します。

戦慄の日米開戦前夜に一体何が起こったのか?

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  *  *  *  *  *

終戦後の1951年5月3日…

米国上院軍事外交共同委員会で
GHQのマッカーサーは
次のように証言しました。

「日本は4つの小さい島々に
 8千万人近い人口を
 抱えていたことを
 理解しなければならない」

「日本の労働力は潜在的に
 量と質の両面で最良だ。

 彼らは工場を建設し、労働力を得たが、
 原料を持っていなかった。

 綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、
 スズがない、ゴムがない、
 他にもないものばかりだった。

 その全てがアジアの海域に存在していた」

「もし原料供給を断ち切られたら
1000万~1200万人の失業者が
日本で発生するだろう。

 それを彼らは恐れた。

 従って日本を戦争に駆り立てた動機は、
 大部分が安全保障上の
 必要に迫られてのことだった」

会場はどよめきました。

証言通りならば、
日本は侵略ではなく、
自衛のために戦争したことになるからです。

つまり、アメリカにとっては

「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」

ということになっているのに、
その前提を根底から覆す
証言になるからです…

実際、明治維新以来、
欧米列強に対抗するために

「富国強兵」

というスローガンを掲げ、
日本人は国づくりに励んできました。

そのために欠かせなかったのが

「重工業の継続的発展」

でした。

日米開戦の半年前の時点で
アメリカは日本へあらゆるものの輸入を
ストップしていました。

航空機、航空通信機器、
工作機械、鉄鉱石、銑鉄、
合金鉄、鉄製品、臭素、エチレン、
研磨剤、油圧ポンプ、真鍮、亜鉛、
ニッケル、カリ、ラジウム、牛革…

、、、など、日本人の経済活動に
必要な資源はことごとく
「禁輸」されていました…

これらがなければ
日本人はじわじわ
「殺されかけている」
という状況だったわけです…

まさに、マッカーサーが言うように
アメリカに追い詰められて
「自衛の戦い」に踏み切ったのです…

しかし、そんなこともお構いなしで
アメリカ大統領・ルーズベルトは
日本を追い詰めていきました。

日本は懸命な日米交渉を
続けようとしましたが、
あらゆる手を使って
日本をはぐらかしていました。

例えば日本の近衛首相が

「直接会談をしたい」

とルーズベルト大統領に
懇願したところ、、、

アメリカ側はなんと回答をしてきたのか…?

詳しくは以下のプレゼンテーションで
解説しています。

ここからアメリカのズルい策略を知る

PS.

上島嘉郎の新講座

「戦慄の日米開戦前夜
 ~アメリカの対日圧力、そして運命のハル・ノート」

のリリース記念CPを、6月13日(木)23:59まで行います

リリース限定のため、お見逃しのないようお願い致します。

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