ライズアップジャパン: 真珠湾攻撃、日本人が涙を流した訳とは?
真珠湾攻撃、日本人が涙を流した訳とは?
ライズアップジャパン事務局
昭和16年12月8日…
真珠湾攻撃…
当時、36歳だった
作家の坂口安吾は、
ラジオニュースでこの報せを聞いて
涙を流したそうです…
それは決して戦後、
私たちが教わったような
「無謀な戦争を始めてしまった」
「つらい戦争が続くのか…」
といった理由ではありません。
坂口安吾は次のように
記録を残しています。
「僕はラジオのある床屋を探した。
やがて、ニュースがある筈である。
客は僕ひとり、頬ひげをあたっていると、
大詔(おおみことのり)の奉読、
続いて、東條首相の謹話があった。
涙が流れた。言葉のいらない時が来た。
必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。
一歩たりとも、敵をわが国土に
入れてはならぬ。」
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「アメリカ兵に負けてたまるか」
という強い決意だったんですね…
日米開戦を知ってこのように
感じていたのは、
何も日本人だけではありません。
その当時、日本人が実際に何を言い、
どのように考えていたのかについて
プレゼンテーションを公開しました。
・なぜ、私たちのご先祖は、
日本中を焦土にされ、
2発の原爆を落とされるまで、
戦い抜く必要があったのでしょうか?
・なぜ、暑くて食糧もない南方の戦場や、
寒くて凍える満洲やモンゴルで、
命の危険を冒してまで戦う
必要があったのでしょうか?
・そもそも、アメリカみたいな
巨大な先進国となぜ、
日本みたいな小っぽけで
貧しい島国が戦争を
しないといけなかったんでしょうか?
公開中のプレゼンテーションで
その真実を知ってください…
ーライズ・アップ・ジャパン事務局 小川友希
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