[入門・日米戦争どっちが悪い(2)] NO.1 先住民追い出し太平洋に出た米国「明白な運命」と略奪正当化

2016.12.11

【入門・日米戦争どっちが悪い(2)】NO.1
先住民追い出し太平洋に出た米国 「明白な運命」と略奪正当化

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 北米大陸では英国人によるバージニア植民地樹立に続き、1620年にメイフラワー号で渡った清教徒(英国国教会と対立するキリスト教原理主義者)たちをはじめ、英国で食い詰めた人たちなどが次々と移り住みました。

過酷な環境が待っていましたが、元から住んでいたインディアンたちから食べ物や衣服をもらったり、トウモロコシの栽培を教わったりして生き延びました。

しかし、インディアンは恩をあだで返されることになります。

マニフェストデスティニーとは何か

 1776年のアメリカ独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」などとうたっていますが、インディアンや黒人は適用外というご都合主義でした。

 米国人は無数の黒人奴隷を「輸入」してこき使うとともに、「西部開拓の名のもとに、インディアンを追い出したり殺したりして西へ西へと拡張を続けました。

米国人が建国以来、インディアンの部族と結んだ条約は370に上りますが、それをことごとく破りました。

インディアンの衣食住の糧であり、信仰の対象だったバファローをレジャーとして殺していきました。

 1830年にはインディアン強制移住法を作り、約10万人のインディアンを強制的に徒歩で移住させました。

チェロキー族の移住は1900キロの道のりの途中、1万5000人のうち4000人が亡くなり、「涙の道」と呼ばれています。

 

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米中西部ノースダコタ州での石油パイプライン建設計画反対運動に参加するインディアンの部族のリーダー=4日(ロイター)

米中西部ノースダコタ州での石油パイプライン建設計画反対運動に参加するインディアンの部族のリーダー=4日(ロイター)

 インディアンから奪う土地を米国人は「フロンティア」(新天地)と呼びました。

そして、こうした拡張を「マニフェストデスティニー」(神から与えられた明白な運命)という言葉で正当化しました。

旧約聖書に「神は彼らを祝福して言われた。

『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這(は)う生き物をすべて支配せよ。』」(創世記1章28節)などとあるのが根拠だというのです。

前回、黒人奴隷を正当化するために聖書が使われた話を紹介しましたが、ここでも聖書を持ち出しています。

 米国人は、神がイスラエルの民に与えると約束した地域カナン(パレスチナ)になぞらえて、北米大陸を「約束の地」と思っていました。

旧約聖書には、異教徒と戦うときの心構えがこう書かれています。

 「ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。

もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。

しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。

あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。

ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。

あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕り品を自由に用いることができる」

(申命記20章10~14節)

 隣国の領土も奪いました。

1836年、当時メキシコ領だった今のテキサス州サンアントニオのアラモ砦(とりで)に立てこもった独立派(米国人入植者)の軍勢約200人が、メキシコ軍と戦って全滅しました。

このとき米国軍は砦の近くにいて助けようと思えば助けられたといわれています。

 そして「リメンバー・アラモ」(アラモを忘れるな)を合言葉にメキシコに対する戦意を盛り上げてテキサスを併合した後、米墨戦争の結果、ネバダ、ユタなどのほかカリフォルニアを領土とし、米国はついに太平洋に達したのです。

脅しによって開国させられた日本

 このころアジアでは、英国が中国の清国にアヘンを持ち込んでもうけ、清がアヘンを取り締まると攻撃するという恥知らずな戦争を1840年から42年にかけて行い、香港を奪いました(アヘン戦争)。

 徳川幕府がアヘン戦争に衝撃を受ける中、1853(嘉永6)年、米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーの艦隊がやってきました(黒船来航)。

 

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 ペリーは大統領ミラード・フィルモアから琉球(沖縄)を占領することもやむを得ないと言われて送り出されていました。

大西洋のマデイラ島から海軍長官ジョン・ケネディに宛てた手紙でペリーはこんなことを書いています。

 「日本政府がもし港の提供を拒否し、軍隊と流血に頼らなくてはならなくなれば、わが艦隊はまず、日本の一、二の島にいい港を手に入れる」

「英国は既に東洋の重要な地点を占有しているが、日本とその付近の島々についてはまだ手付かずだ」

 実際、浦賀に来る前にペリーたちは琉球に上陸して王宮を無理やり訪問。その後、小笠原に上陸して一時領有を宣言しています。

 浦賀沖ではアメリカ独立記念日の祝砲などと称して数十発の空砲を発射し、砲門を陸地に向けて威嚇。

勝手に江戸湾の測量を行いました。

まさに「砲艦外交」です。

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