大東亜戦争 石原莞爾 NO.2

  大東亜戦争 石原莞爾 NO.2

歴史にifは禁物と言われるが、もしも当時の中国情勢が石原莞爾の思惑通り進行していればどうなっていただろうか。

 おそらく日本は日中戦争の泥沼に入り込むことはなかったであろうし、リットン調査団にその存在を否定された満州国も、うまく運用されていれば(日本がいいとこ取りなんぞしていなければ)、いずれは国際社会からは承認されたものと思われる。

 そうすればソ連との緊張は続いたかもしれないが、少なくとも日米関係はあれほど悪くなることはなかったろう。

(日米関係は日本が日中戦争を始めてその足かせとなっていた援蒋ルートを断ち切る必要から仏印に侵攻し、米国から石油禁輸を受けた時から後戻りのできない関係になっていった。)

 こうしてみると石原莞爾という男は当時の日本を少しでもよい方向へひっぱっていけるだけのビジョンを持っていたといえる。

もし彼に明治の伊藤博文の半分ほどの政治力でもあれば、あるいは彼を使いこなせるだけの力量のある政治家がいれば、日本が無謀な戦争につっこみ、あんなぶざまな負け方をすることはなかったかもしれない。

 周知の如く、石原莞爾は相手が誰であろうと歯に衣きせぬ発言を繰り返し(しかしそれらの発言はいずれも至当なものである)、時の権力者東条英機までぼろくそに言って結局左遷され、大東亜戦争の最中に予備役に編入されてしまった。

戦争の最中でも彼はいろいろな発言をしているが、今から見れそれは実に的をついたものが多い。

 たとえば海軍がラパウルからガダルカナル島へと進出していったときなどは攻勢終末点を超えている、危険だ、などときびしく批判しているし、そもそも大東亜戦争が始まった段階からして「この戦争は負ける」と喝破しているのである。

 当時の日本もこの石原の天才をうまく使えばもう少しましな針路を取れたであろう。

明治期、日本は秋山好古・真之の天才をフルに生かし、日露戦争における奉天会戦、日本海海戦を乗り切った。

それは彼らの天才を使いこなせる偉大なる軍人、政治家が彼らの上にいたからである。

悲しき哉、昭和の石原の時代、明治期の伊藤博文のような大政治家はおらず、陸軍はトップに宮様や無能が座りつづけ、下克上となっていたために彼の天才を使い切る上司がいなかった。

(満州事変時の板垣征四郎がそれに当たるかもしれないが、板垣は結局石原に利用されただけであった)

 現代では旧陸軍の下克上の代表のようにされている評判の悪い石原莞爾であるが、その志は決して日本を破滅させようなどというものではなかった。

もっともこう言ったら当時の関東軍全体からも「自分達は日本のために日華事変を起こしたのだ、決して日本を破滅させようとして行ったものではない」といった反論が出そうであるが、彼らと石原との違いは明確なビジョンがあったかどうかである。

 関東軍ははっきりしたビジョンもなく、とにかく行け行けドンドンで中国の奥地へと兵を進めていった。

それに対して石原の場合には最低限の暴力を用いて必要最小限の領土を確保しようとした。

今から見てもその考えはきわめて合理的である。

 石原莞爾は現在でも一部でその強烈な支持者がいるようであるが、日本全体からはどちらかというと石原オタクのような感じでしか見られていないような気がする。

しかしもっと客観的に見て、やはり石原莞爾という男は、単なる侵略主義者と捉えるのではなく、国家建設のプロジェクトリーダーとして、あるいは国家のプランナーとして、その能力が再評価されていくことを望みたいところである。

補遺;昭和初期、当時ジャーナリストであり戦後首相となった石橋湛山は小日本主義(日本は大八州の本来の国土の中でほそぼそと生きていくべきだという考え方)という石原とは正反対の主張をしていた。

 戦後の日本経済がその本来の領土の中で驚異的な経済成長を遂げたために、彼の考えは高度成長期には高く評価されたが、当時の日本経済においてこの石橋の考えは、現代同様貿易立国として生きていかなければならなかった日本としてはやはり非現実的な政策であったといえる。

 世界的なブロック経済の中で首根っこを抑えられていた日本にとって、満州との取引はどうしても必要であった。

しかしながら、満州にきちんとした政府がなかったため、満州での安全な貿易が困難であった。

そのためにもどうしても満州進出(侵略ではない)は不可避であったのだ。(これが大日本主義)

 幣原喜重郎が進めた米英との協調外交は政治的には良き判断であったが、世界経済的に見た場合、困難であったのではないか。

それがために幣原外交は民衆からはあまり支持されなかったのではないかと思う。

 尚、石橋は数字を詳細にあげて植民地政策が”カネにならない”ことを証明しているが、これはあくまでも古典的植民地政策がベースとなっており、石原がやろうとしていた五族協和の独立国方式にはこの石橋の計数はあてはまらないと思う。

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