「大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった」帝国政府声明の発掘
「大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった」
帝国政府声明の発掘 安濃 豊著 展転社
大東亜戦争は、アジア解放宣言は、戦後に日本共産党や左翼知識人やマスコミの言うように後付けだったと思う人が多いようだ。
私もこの本を読んで改めて昭和16年12月8日に帝国政府声明に発表していたことを確認した。
それまでは、昭和18年11月5日~6日に東條首相がアジア地域の首脳を招集して会議を開き、
「大東亜共同宣言」を採択して後付けだと思っていたのである。
「帝国政府声明」 昭和16年12月8日 午後0時20分発表。
「今日帝国は東南アジア地域に武力侵攻せざるを得なくなったがそれは、決して東南アジア住民に対して敵意を持つからではない。
ただ、米英から東南アジア住民に対して加えられてきた暴政を排除し、東南アジアを白人によって植民地化される前の明白なる本来あるべき姿へ戻し、ともに協力して繁栄することを願うからである。
大日本帝国は東南アジアの住民たちがこの戦争目的を了解し、東亜に新たなる政治経済体制の構築を目指し共に行動することを疑わない。」
この声明は、朝日、読売、毎日の各紙の夕刊に同一の文章が掲載された。
政府声明を発し、開戦目的はアジアの白人植民地解放であると宣言し、同日午後7時には東條英機首相がラジオ放送を通じて全国民に対し、開戦目的はアジアの開放と自存自衛の確保であると宣言していた。
アジアの開放は結果論でもなければ後付けでもない。目的論であり先付だったと言うことである。
「埋もれていた帝国政府声明」
帝国声明が世に出なかった理由を考えると次の要因が考えられる。
1.戦後マスコミを牛耳った日本共産党が無視を決めこんだ。
日本共産党にとっては戦前に自分たちを散々弾圧していた大日本帝国が「アジア解放軍」と言う英雄になることは、日本共産党は英雄の「敵役」即ち悪党となるから認められない。
2.保守論人が戦犯に囚われることを恐れ意図的に帝国声明を避けた。
3.東京裁判を正当化するためGHQがアジア解放宣言文そのものの存在を封印するよう当時の識者、政府関係者に命じた。
*米国務省コーデル・ハルは大日本帝国降伏直前次の指示を出していると聴いた。
”大日本帝国をアジア解放の殉教者としてはならない”。
「戦争中から大日本帝国はアジア解放を行った」
ビルマ(現ミャンマー)、カンボジア、ラオス、ベトナム、フィリピンで戦争中に開放を実現した。
さらに自由インド仮政府を承認し、アンダマン諸島とニコバル諸島をその領地とした。
「大日本帝国に誇りを持つ愛国者が実現し批判すべきこと」
1.現行憲法には、有色人種開放をもたらした大日本帝国憲法を壊滅させ、日本を悪役に仕立てることにより、植民地支配という白人の侵略犯罪行為を正当化するために追しつけた”白人正当化憲法である。
それゆえ、制定時に遡って無効としなくてはならない。
2.靖国神社に祀られている英霊たちは、アジア解放、有色人種開放戦争で犠牲となった殉教者である。
3.支那は、自ら有色人種でありながら、白人の手先となって日本によるアジア解放戦争を妨害していた。
有色人種の裏切り者である。
4.韓国はアジア解放戦争の共犯であったにも拘わらず白人に侵略者のレッテルを貼られると自ら有色人種であるにも拘わらず白人側に寝返った裏切り者である。
5.白人側に寝返った以上、有色人種に謝罪と反省を行うべきは、支那と韓国である。
6.国家神道のみが白人キリスト教勢力を打ち負かした世界最強宗教である。
日本人は、国家神道を復権させなくてはならない。
7.東條英機首相らA級戦犯は、有色人種開放の殉教者である。
8.国際共産主義者がソ連のコミンテルンの指示と謀略により、日米が戦争に追い込まれた。
従って悪者の日本共産党を非合法にしなければならない。
フィリピンでさえもが共産党は非合法である。
「大日本帝国が植民地開放戦争で独立させたアジア諸国」
1.タイ王国:解放戦争前から独立国であった。
2.ビルマ国:昭和18年8月1日。英国より独立。首班はバー・モウ
3.フィリピン共和国:昭和18年10月14日。米より独立。首班はホセ・ラウレル
4.自由インド仮政府:昭和18年10月21日。英より独立。首班はチャンドラ・ボース
5.ベトナム国:昭和20年3月9日。仏より独立。首班はバオ・ダイ
6、カンボジア王国:昭和20年3月12日。仏より独立。首班はノロドム・シアヌーク
7.ラオス王国:昭和20年4月8日。仏より独立。首班はシーサワーン・ウオン
8、インドネシア共和国:昭和20年8月17日。蘭より独立。首班はスカルノ
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