次代への名言:朝河貫一:日独防共協定は天皇と日本国知識層双方の考え方に逆行するものです。

 次代への名言:朝河貫一:日独防共協定は天皇と日本国知識層双方の考え方に逆行する

ものです。

(米在住の歴史家、朝河貫一)

 

 1936【昭和11】年8月、ドイツで第11回夏季五輪が開催された。

このときまでにヒトラー政権は2度、軍事介入の危機にさらされた。

 

最初は、政権掌握から8ヵ月後の33年秋、国際連盟とジュネーブ軍縮条約から一方的に脱退したとき、

2度目は36年春、武装禁止地帯の独西部ラインラントに進駐したときだった。

 

 「国際法に違反」として英国やフランスが侵攻すれば、まだ軍備弱体のヒトラー政権は崩壊していた。

だが、両国とも動かなかった。

 

 不当に過酷なベルサイユ条約をドイツに強いた”後ろめたさ“があったからだ、とされる。

 

 運よく危機を回避できていた者の、国際的な孤立は明白だった。

ヒトラーは同盟国を探す必要があった。

 

 イタリアの独裁者、ムソリーニとは「枢軸関係」を築きつつあった。

が、ヒトラーの第一志望は英国、そして日本だった。

 

 だからベルリン五輪のさい、「右手を挙げて“ハイル・ヒトラー!”というのは五輪における”公式挨拶“だったが、英国と日本の選手団だけは敬意を表され、例外となった」

(マックス・ドマルス「ヒトラーの演説」)

 

 五輪から3ヵ月後、日独防共協定が結ばれた。

朝河貫一が冒頭の危惧を覚える一方で、ベルリンの首相官房では、全政府要人が顔をそろえ、日本側をもてなすという、異例の“協定を祝う夕べ”が開催された。

 

【産経新聞 文化部編集委員 関厚夫。 平成23年9月17日】

 

 

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