次代への名言:昭和天皇―いましばらく独ソの関係を見極めたうえで締結しても遅くはないのではないか
次代への名言:昭和天皇―いましばらく独ソの関係を見極めたうえで締結しても遅くはないのではないか
日独伊三国同盟が1940(昭和15)年9月に結ばれたとき、この軍事同盟にソ連を引き入れることを視野に入れていた、という話は前回に記した。
冒頭はその際、昭和天皇が首相、近衛文麿にもらしたことばだが、杞憂ではなかった。
2ヵ月後、ソ連外相のモロトフが三国同盟の加盟を協議するためベルリンを訪れた。
このさい(英軍機が空襲するというヒトラーにとって最悪の環境だった)と帰国後まもなくモロトフが伝えたソ連側の加盟条件は強欲に尽きた。
それは、フィンランドからの独軍の撤退とブルガリアをソ連の勢力範囲とし、トルコに軍事基地を設け、ペルシャ湾に進出することを認め、日本は日露戦争で獲得した南樺太をソ連に返還することだった。
ただこの強欲さは、ヒトラーにとって「(ソ連とはきっぱりと決別する)(マックス・ドマルス「ヒトラーの演説」)」ための格好の口実となった。
そして彼は此の年末、対ソ戦を決めるとともに、日本との同盟深化に傾斜するのだが、対する日本政府の外交感覚は鈍かった。
近衛は驚いたような筆致でつづっている。
「昭和16年3月、松岡洋右外相がベルリンを訪問するや、ヒトラー総統もリッペントロップ外相も共に口を極めてソ連の不信暴状を罵り、[ソ連に対しては一度打撃を加えざれば欧州の禍根は到底除かれず]。
前年の約束とは打って変った話である。」
「次代への名言」より。
(産経新聞、文化部編集委員、関 厚夫。平成23年9月24日)
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