真珠湾攻撃総隊長の淵田美津雄中佐の戦争の回顧とアメリカ伝道の旅
「真珠湾攻撃総隊長の淵田美津雄中佐の戦争の回顧とアメリカ伝道の旅」
「生出寿著:淵田美津雄中佐の生涯」 徳間書店より
生出寿氏は山本五十六凡将論だったと思いますが、淵田氏は南雲・
南雲長官については第二次反復攻撃を行わなかったこと、さらには
ミッドウェーでも偵察軽視のツケがでてしまう。
淵田氏の南雲長官批判の論拠として真珠湾は水深が12mしかなく
ところが草鹿参謀長はアメリカ太平洋艦隊を撃滅して作戦目的を達
淵田氏が批判する点はもう一つ、「兵は勢である」ということ。
戦前のアメリカの戦争小説では日本軍はハワイを占領後アメリカ西
実際に開戦後、アメリカは西海岸で灯火管
レイテ攻撃の栗田艦隊については、戦争の帰趨はもはや明らかであ
さて戦争も終わり、占領軍から尋問される日々。
占領軍機関誌にイ
ジープに乗せられ着いた場所は丸の内の郵船ビルの裏手。
狭い階段
大勢の黒人兵からウイス
彼らのジェスチャーで「真珠湾攻撃を誰が一番喜んだと思うか」と
そしてその答えは「われわれ黒人だよ」というもの。
淵田氏は人種差別の実態を知るとともに、「顧みれば日本が、大東
しかし、自分こそ最優秀の
このたびの敗戦は、それを懲
ぼくが子供のころ、親戚のおばあちゃんは霊感というか霊能のある
自慢・高慢バカのうち、
昭和26年(1951年)に洗礼を受けた淵田氏は昭和27年から
なかでもトルーマン前大統領との会見は興味深い。
陸軍少佐だった
「キャプテン、真珠湾はね、ボス・ギュルチィ(両者有罪)だよ」
私は「そりゃ神の前にはボス・ギュルチィでしょうけれど・・・」
と言った、とあります。
マッカーシーの赤狩りや朝鮮戦争を経験し、ルーズベルトが日本を
日本占領軍最高司令官を解任後のマッカーサーとの会見では、憲法
マッカーサーが言うには、原爆の出現で将
そのような見地から、世界は戦争放棄の段階に近づきつつあるとの
日本を軍事的に無力化する連合国の方針もあった
その後の世界情勢は力に対するには力のバランスで
かくて日本も自衛力が必要だと、自分
ニミッツ元帥宅では自慢の松の盆栽を見せられ、夫人からは日本滞
スプルアンス大将の家では淵田氏が送った能面が飾られるなど、昨
最後に終戦記念日の戦没者慰霊祭における総理大臣の追悼文の話が
『その追悼文で戦没者のことを「偉業に倒れ」などと謳うと、早速
けれども私が
そしてその事自体は偉業であり、
キリスト教徒である前に愛国者の淵田氏はキリスト教徒になってか
日本基督教協議会というのはウィキペディアを見ると『いわゆる「
朝鮮系に乗っ取られた団体です。
初詣の参道で「神を信じよ」など
昭和20年代から今に至るまで反戦左巻きの巣窟のようです。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
最近のコメント