70年目の12月8日に思うこと NO.1
70年目の12月8日に思うこと NO.1
大東亜戦争は、海軍の戦争であった。
東京裁判で陸軍が悪者にされて国民も真実だと思いこまされてしまった。
しかし、太平洋の海戦で敗北して制海権を奪われれば陸軍が南洋の島でいくら頑張ったとしても食料や武器がなければ戦えないで置き去りである。
ビルマ、タイ、インドネシア、ラバウル、南洋の島々や中国や満州にまだ多くの陸軍将兵がいたけれど本土が手をあげてしまっておしまいになった。
アメリカが資源、工業力、科学力、武器、情報、兵站や人事などで全て日本を凌いでいたのは当時の軍人や国民は薄々知っていた筈である。
海軍の幹部人事も士官学校の成績と卒業年次でところてん式に昇進した。
平時であれば余程の失敗がなければ将官で退役できた。海軍も陸軍も無難に勤務する官僚になっていた。
海軍の海戦で適材適所であれば勝った戦いは多い。
第一に真珠湾攻撃であるが、あの作戦は山本長官の閃きによって生まれた。
長官は勝負師であり海軍航空隊を育て史上初めての空母の運用を実際に行った先見性がある。
しかし、その彼もまた艦隊決戦に拘っていたのである。
米内光政海軍大臣は、日独防共協定に反対していた山本が暗殺される危険があったので連合艦隊司令長官にして海上勤務で安全な所に避難させた。
しかし、これは平時の任命であった。
連合艦隊司令長官の勤務は激務なので平時での目安は2年であった。
しかし、及川海相の後任に米内大将は山本を海軍大臣に戻そうとしたが種々の理由で果たせなかった。
そして3年の勤務が経過して開戦となった時、永野修身軍令部総長はそのまま山本に継続させた。
仮定の話であるが山本大将も砲術屋だが彼と同期の砲術屋の嶋田繁太郎大将や同じく砲術屋の古賀峯一大将や近藤信竹大将の方が良かったのである。
士官学校では、成績の良い者は砲術屋になるのが多かったそうである。
何故なら、嶋田大将は、砲術屋であり艦隊決戦に固執するから空母や航空機の運用など思いもつかなかったであろうから、日本海軍の伝統的作戦である日本近海での艦隊決戦を選んだであろう。
そうすれば戦いはすぐに起きずアメリカ国民も真珠湾のだまし討ちがないから日本との戦争に世論は沸き立つ筈がなかった。
日本海軍は、陸軍と協力してインドネシアを占領して石油を確保すれば良い。
米国に宣戦布告せずにいたら石油輸送のため米軍基地があるフィリピン沖で米海軍が戦いを挑むことが起きたであろうか。
山本大将を得意の政治力と胆力を生かして海軍大臣にせず、意外に戦さの下手な連合艦隊長官に任命したまま任せたのが海軍の敗因の大きな原因であるのも歴史の皮肉である。
米海軍も空母や航空機の効用について理解していたわけではなかった。
依然として艦隊決戦の考えを持っていたのである。
ところが真珠湾攻撃とシンガポール沖の英新鋭戦艦プリンスオブウエールズとレパレスが日本海軍機の襲撃であっけなく撃沈されて航空機の有利さを知ったのである。
それから、米海軍はすぐに戦艦を空母の護衛と陸地の艦砲射撃用に切り替えたのであった。
機動部隊の司令長官であった南雲忠一中将は、水雷屋で「水雷戦術の第一人者」「猛将」として知られていたがこの時、55歳で老いたようだと言われている。
だから、真珠湾作戦の途中で草鹿参謀長に「不安だ」と内心を打ち明けていたそうである。
海軍生活の大半を戦艦、巡洋艦、駆逐艦の艦長として操艦の腕を磨いて来たのに航空は全く素人でしかも大博打を打つような作戦を前に戦いに赴く老将の気持ちは不安で一杯であったであろう。
この戦時の人事は不適任で水雷屋の猛将の小沢治三郎や少将であったが勇猛で責任感の強い山口多門少将などが適任であった。
従って真珠湾攻撃の第三次攻撃を中止し敵空母を恐れて真珠湾攻撃五直ちに引き返した。
山本長官の望みであった敵空母撃滅や石油タンクや修理工場などの攻撃を果たさなかった。
作戦終了後の反省会も行わず、責任もうやむやで次のミッドウェー海戦で南雲中将、草鹿龍之介中将(参謀長、砲術屋、少しの期間、山本のもとで航空について学んだ程度)と源田参謀のコンビで大敗を喫してしまう。
この海戦の後に海軍参謀部は大敗北を隠し国民にしらせず乗員は島に閉じ込めてしまった。
やはり、敗北の責任を取らせて山本長官、南雲司令官、草鹿参謀長、源田参謀、連合艦隊参謀長の宇垣纏参謀長(中将。砲術屋)、黒島先任参謀など関係者全部の更迭を行う必要があった。
陸軍でも海軍でも下士官や兵隊は優秀だが上級幹部は駄目だと外国から言われている。
このように見てくると日本人や日本の組織、特に官僚化した組織は責任を追求せず責任を取らない組織なのかと思ってしまう。
戦後、今でも国の指導者は責任を取ることがない。
占領軍が撤退したあと国民は戦争の反省をしてきたのか。
侵略したことが悪いという反省ではなくて、何故、負けたのか、負けた原因を突き止め、どう直せばいいのか。日本人の欠点や日本の国家としての欠点を修正する努力を怠ってきたのではないか。
今、日本国家は、情報、兵站、人事を軽視している。
そして未だに軍隊を持っていない。
日本人は、もう戦争はないと思っている。
戦争の間に平和があることに気がつかない。
次の戦争には勝たねばならない。
負ける惨めさを嫌というほど味わい、多くの兵士や国民が死に国の民族の誇りを奪われた。
今度は負ける戦争はしないと自衛隊という組織で誤魔化してきた。
想定外と言って考えることも発言することも控えてきた。
70年前の戦争の手強い相手は、大国アメリカであったが次の相手は共産中国である。
近い将来間違いなく沖縄の近海で中国海軍に攻撃され戦争が起きるであろう。
日本は其の戦争に十分な備えをしてきたとは思えない。
まず、今の防衛大臣は政治、軍事の素人と自称している。
軍事の知識がない者が指導者でもシビリアンコントロールが良いのだと本気で思っている。
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