ルーズベルト秘録 : 「日本は妄想に取り付かれている」
ルーズベルト秘録 :「日本は妄想に取り付かれている」
ルーズベルトがフーバー大統領から引き継いだ外交政策は、日本の満州侵略を非難する「スチムソン・ドクトリン」だった。
それもフーバーが考えていたような言葉だけの非難ではなく、日本の侵略行為を阻止し、太平洋における日本の脅威を阻止するという実質的な意味をドクトリン(原則)の中に見出していた。
フーバーとルーズーベルトのこの違いは、スチムソン・ドクトリンを決定する際のフーバーの考え方を見ることによって一層、際立って確認することが出来る。
1931年(昭和6年)9月に起きた満州事変の急展開に業を煮やした国務長官、ステイムソンは、経済制裁で日本を抑止するか、国際世論を喚起して警告するかの二つの案をフーバーに提出した。
経済制裁を勧めるステイムソンに対しフーバーは強く反論している。
『いかなる国も経済を破壊され、国民が飢えるような制裁に素直に応じるとは思えない。
制裁は銃撃を伴わない戦争行為である。
制裁の脅かしだけで相手国に救い難い憎悪と感情の高ぶりをさせるだろう。
しかも、英国、フランスをこの制裁に協調させることは出来ない。
二国とも中国に権益を持ち、日本にはむしろ仲間意識を抱いているからだ。』
フーバーは経済制裁の延長線上にある戦争の可能性を実際、真剣に考慮している。
英国に極秘で対日参戦への意思を尋ね、それが否定されると、陸海軍長官に勝利の可能性を問いただし、「開戦すればフイリピンが占領されるし、英国抜きで戦うには5年の戦争準備が必要だ。
戦争は問題外だ」と結論づけている。(「フーバー回顧録」)。
フーバーの論法にステイムソンは納得しなかった。
戦争は、回避すべきだと考えたが、国際的な経済制裁は、必ずしも戦争への糸口とはならず、侵略行為を止めうる有効な外交手段であるとみなしていたからだ。
1933年1月9日にステイムソンがルーズベルト宅を訪ねた最初の出会いで、ルーズベルトはステイムソンの考えを全面的に支持したうえ、「もっと早く経済制裁をスタートさせるべきだ」と舌打ちし、
「日本はいずれ屈服するだろう」との見通しを披露している。
(「ステイムソン日記」)。
1933年、大統領に就任したルーズベルトが最初に取り掛かったのは太平洋艦隊の増強だった。
その軍事優先政策に妻のエレノアを通じて平和主義者から抗議の手紙が来たのに対し、ルーズベルトは
「日本は誇大妄想に取り付かれているから」と説明している。
エレノアによると、ルーズベルトはウッドロー・ウイルソン政権の海軍次官補だった時からグアム島やハワイなど太平洋の島々の安全を憂慮し、日本を常に太平洋方面の敵と想定していた。
(「エレノアとフランクリン」)。
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ルーズベルト秘録「上」。産経新聞「ルーズベルト秘録」取材班キャップ前田徹。
2001年11月、産経新聞社発行。・・・・・・・より抜粋。
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