大東亜戦争考察―第一次世界大戦

大東亜戦争考察―第一次世界大戦

大東亜戦争は、大日本帝国の大敗北の運命が決まっていたのだろうか。

歴史上は、連合国の占領を許し、大日本帝国が滅びたのであるが、このような完全なる敗北が予定されていたわけではない。

 

大日本帝国の運命の分岐点は、日本や米国その他の国の人物の考え方や思惑により決まったり外交のやり方や同盟の維持か決別か或いは情報その他の要因によって分かれていった。

戦争が避けられなかったとしても戦争を始める時期や敗北の度合いや停戦の可能性もあったかもしれない。

 

歴史は、様々な要素を含んでおり国の運命もどちらに転ぶかわからない複雑怪奇なものである。

勿論、考察上ifということは当然あり得るわけである。

 何故、このような考察を試みるかだが現在の日本の政治の様子や情報戦により日本にとって歴史上最悪の国の危機なるがゆえに大日本帝国が悪の固まりであると考える馬鹿な政治家たちが多いので反論を試みることが日本人にとって必要だからである。

 

1.第一次世界大戦と第二次大隈内閣

 

 第一次山本内閣崩壊後徳川家達、清浦圭吾に大命降下されるが組閣に失敗、元老会議はやむなく政界を引退していた大隈重信を後継に要請した。

この時点で他に選択しはなかったのかと思う。

 

第一次大戦は、1914年(大正3年)8月に始まった。

大隈内閣の誕生は、1914年4月であった。

 

元老会議は国民から人気のあった大隈を起用したが、大隈内閣では、大隈と密接な三菱財閥と血縁関係のある

加藤高明が外務大臣として起用して加藤は大隈を補佐した。

 

 ここで大隈内閣は重大な選択肢の過ちを犯している。

 その第一は、英国が再三にわたってヨーロッパ戦線への要請のあった陸軍の派遣を断ったことである。

 

 第一次大戦の重要な点は、塹壕戦である。

日本陸軍がもしヨーロッパ戦線に派遣していたら、塹壕戦の難しいことを理解出来たであろう。

 

 塹壕戦は、銃剣で突撃する兵士が多大な損害を蒙ることを理解出来たであろう。

 機関銃によって兵士が夥しい損害を蒙ったからである。

 

 飛行機や戦車は、まだ、性能や数量がわずかであったが、次の戦争の予測はついた筈である。

 

 実際、大東亜戦争では、日本軍の島嶼防衛線は、第一次大戦から進歩がなく第一次大戦と同じ銃剣突撃で玉砕が相次いだ。

 

第一次大戦に参加し学んでおれば陸軍は兵器の開発と近代化と戦法の変更を考えたと思う。

そしたら、大東亜戦争での戦いも異なる展開になり得たのである。

 

三八式歩兵銃や軽量戦車の改良や機関銃や対戦車砲などの武器、装備の近代化が進んだ筈である。

又、飛行機の開発や搭乗員の増員も間違いなく行われたと思われる。

 

もし、そうしていたら戦争において一方的な日本軍の惨敗は回避され持久戦になりドイツが降伏したあと米軍がまだ戦争を継続しているとすれば米国民の厭戦気分が増大して米大統領は国民の非難をあびて停戦となる可能性が十分にあった。

 ルーズベルトが大統領に再任されたのは、彼が戦争に参加しないと国民に約束したからである。

 

 そういう状況に持っていくことが出来たなら「日本の敗戦が決まっていた」などという俗説は覆されており、日本が望んでいた講和も可能となり、実際に起こった一方的な本土占領のような大日本帝国にとって悲劇的な屈辱的な敗戦はなかったであろう。

 

 大隈内閣のもう一つの過ちは、中華民国北京政府に対して「対華21か条」を要求したことである。

 これは、内外の情勢に配慮しない加藤外相の独走と見た元老西園寺公望らから不興をかった。

 

それより英米からみると日本は火事場泥棒のようなことをしてしまったのである。

特に、英国から見て英国が日英同盟の相手に再三要求した日本は陸軍を派遣しないことに、英国は不信感を持っていたのに更に英国の日本への不信感を増大させた。

 

日英同盟で日露戦争で日本への潜在的な協力をした英国としては、今度は日本が英国に援助してくれると思っていた筈である。

 これが、後に1923年に日英同盟が廃棄された遠因となったのである。

 米国も大戦中の時期に日本が中国に介入を深めるとして警戒感を強めたのは間違いないだろう。

 

 

 

 

 

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