大東亜戦争に対する諸国の評価 NO.2

 大東亜戦争に対する諸国の評価 NO.2

19.ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代インド首相) 

チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった・・・・彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。

余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。

(貝塚茂樹編『民族解放の星』講談社、253~4頁) 

20.アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士) 

日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。

日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。

この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。

日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。

その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。

(中略)(日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。

この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。

(「魂を失った日本」未央社、57~65ページ) 

21.ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相) 

我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。

インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。

それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。

一度持った自信は決して崩壊しない。

日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。

独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。

(名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社) 

「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。

一度持った自信は決して崩壊しない。

そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」(昭和32年の来日の際の発言) 

22.アリ・ムルトポ准将(インドネシア) 

「日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したものでアジア人の誇りである。

今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら韓国が一番困ると思う。

もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人の成功は容易である。

つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。

経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。

インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。

つまり、我々インドネシア人は『日本はなにもしてくれなくてもよい』と考えている。

日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、アジア・アフリカにつくしていると考えている。

だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている」

(韓国人に向かって言った演説、名越二荒之助「世界に生きる日本の心」) 

23.サンパス元復員軍人省長官(インドネシア) 

「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。

日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」 

「平成3年、村山首相がASEAN諸国を謝罪して回った時、インドネシアの元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍は「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。

その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。

そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。

村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。

かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」となげいていた。」

(『(中島慎三郎「アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論」『祖国と青年』1994年2月号) 

24.ジョージ・カナヘレ『日本軍とインドネシア独立』より 

日本はインドネシア語の公用語を徹底して推進し、インドネシア国民としての連帯感を人々に植え付け、広域の大衆をインドネシアという国家の国民として組織した。

とくに若者に民族意識を植え付け、革命の戦闘的情緒と雰囲気を盛り上げた。

またPETA(ペタ)の革命における意義は大きく、これなくしてインドネシア革命はあり得なかった。 

25.インドネシア『祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ』 

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす 
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず 
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ 
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ 
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る 
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ” 

26.モハマッド・ナチール(インドネシア、元首相) 

大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。 

もしあの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。 

大東亜戦争はそういう戦いだったんです。 

27.ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞) 

日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。

あの大戦で日本はよくやったではないですか。

マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。

その結果、マレーシアは独立できたのです。

大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」 

さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。 

「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。

日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。

現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。

押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。

『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。

口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。

かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。

そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。

日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。

この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。

自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」

(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)   

 

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