大東亜戦争考察―情報こそ最高の戦力: 「米軍が見た日本軍五つの敗因」

 大東亜戦争考察―情報こそ最高の戦力

「米軍が見た日本軍五つの敗因」

堀 栄三著:大本営参謀の情報戦記ー情報なき国家の悲劇(文春文庫)

 

 昭和42年3月、堀は情報の世界から足を洗った。

 情報の世界から離れて外野席から眺めてみると逆に現実が見えてきて、このままで良いのかという心配がかえって大きくなった。

 

 米軍は昭和21年4月、「日本陸海軍の情報部について」という調査書を米政府に提出している。

 其の結言のなかの一説をまず紹介しておかねばならない。

 

 「結局、日本の陸海軍情報は不十分であったことが露呈したが、その理由の主なものは、

 

 1.軍部の指導者は、ドイツが勝つと断定し、連合国の生産力、士気、弱点に関する見積もりを不当に過小評 価してしまった。(註、国力判断の誤り)

 

 2.不運な戦況、特に航空偵察の失敗は、最も確度の高い大量の情報を逃がす結果となった。

 (註、制空権の喪失)。

 

 3. 陸海軍間の円滑な連絡が欠けて、せっかく情報を入手しても、それを役立てることが出来なかった。   (註、組織の不統一)。

情報関係のポストに人材を得なかった。

 このことは、情報に含まれている重大な背後事情を見抜く力の不足となって現れ、情報任務が日本軍では第二  次的任務に過ぎない結果となって現れた。(註、作戦第一、情報軽視)。

 5.日本軍の精神主義が情報活動を阻害する作用をした。

 軍の立案者たちは、いずれも神がかり的な日本不滅論を繰り返し声明し、戦争を効果的に行うために最も必要 な諸準備を蔑ろにして、ただ攻撃あるのみを過大に強調した。

   その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。(註、精神主義の誇張)」

     (註は筆者)。

 

 と結んで、これが米軍の情報活動に対する総評点であった。

 あまりにも的を射た指摘に、ただ脱帽あるのみである。

 以上の五項目は、戦後四十年経った現在でも、まだ大きな教訓的示唆を与えている。

 以下、その重要なものに限って簡単に例示するなら、その第一は国力判断の誤りである。

 

 日本にはまず最初にこの躓きがあった。

寺本中将から読めと言われた欧州戦史業書を見ても、第一次世界大戦当時の米国は、英、仏のほか、墺、土の各国に百パーセント近くの軍需品を補給し、さらに自国の軍隊四百万人を動員さえ、少なくとも四ケ国分の補給と生産の基地となって、当時の金で一日百万ドルの戦費を使ってきた超大国であった。

 

 太平洋戦争では、米国は英、仏、ソ、支を支えた五ヶ国分の国力を維持して戦ったのだ。

こんな簡単なことが、日本の大本営にどうして判らなかったのだろうか?

 

およそ戦争に限らず、どんな闘争でも相手の力を無視して勝てるはずがない。

ドイツが勝つという断定は、判断ではなく親独の眼鏡を透した願望であった。

 

 寺本中将はウエワクへ赴任するとき、杉並の堀の家に立ち寄って、

「よくもよくも米国を相手にしたものだ。国力を侮ったらいかん」

と言ったが、米国通という眼鏡をかけた者は、米国の実力を正確に計算していた。

 

 第二の評点の制空権の問題については、それがいかなる結果を招いたかを、米軍戦法の研究を通じてあの悲惨な戦闘を縷々説明してきたので、ここではその詳細には触れない。

 

要は、太平洋という海を眺めて、小学生のように青い水面と白い波だけを見ていたのが日本の戦略立案者、あの空を取らなくては、この海を取れないと、空を見上げたのが米国の戦略立案者だった。

海だけではない。

 

 一つのものを見るには、遠足や遊山のような目もあれば、戦略という眺め方もある。

 

戦後発表になった米軍の資料では、米海兵隊のエリス少佐は、大正十年すでに西部太平洋の攻略作戦構想を、海兵隊司令官に提出していたというから、寺本中将の言ったとおり、米軍の飛び石作戦は大正十年から練り上げられていた。

 

 日本が開戦に踏み切って、日の丸を掲げて太平洋の島々に無血上陸を敢行していったとき、恐らく、日本が罠にかかったと、内心ほくそえんでいたに違いない。

 

飛び石作戦には、太平洋では防御よりも攻撃が有利であったからである。

日本は、戦場の研究さえもすっかり忘れていた。

 

 返す返すも米国通といわれた人々が、中央部から疎外されて、権力者に都合のよい者たちだけが中央の要職を占めたのは残念極まることであった。

政治や企業、各種団体にもきまって見られる弊害ではなかろうか。

 

 第三の指摘は組織の不統一である。

米国のCIA,ドイツのBND(旧ゲーレン機関)、

ソ連のKGB,その他英、仏、イスラエル、中国、韓国等々、国家単位で情報の組織を持った国は枚挙にいとまがない。

 

例を米国に取って見よう。

CIAは、国家の利害にかかわる情報について、驚くべき絶大な権限を持っている。

 ・・・・・・ (省略)・・・・・・・・・

 

もし戦時中の日本にこのような統一組織があったら、「昭和20年7月16日ニューメキシコ州で新しい実験が行われた」というわずか二行の外電は、他の何かの諜報との関連づけから「原爆」という字が出てきていたに違いない。

   ・・・・・ (省略)・・・・・・・・・・・

 

調査書の第四には、情報に人材を得ず、情報は第二次的な任務になってしまったと指摘している。

米軍は実に日本の急所を押さえている。

日本では、軍も企業も政治も、優秀な人材が中心になって動いて、組織はしばしば建前になる例が多い。

 

 大本営作戦課に人材を集めたのは昔からのことであった。

其の中では作戦班には、陸大軍刀組み以外は入れなかった。

作戦課長の経験なしで陸軍大将になった者は、よほどの例外といって差し支えなかった。

 

 これに反して情報部は、やはり人材を得てなかった。

情報部は毎年一回、年度情勢判断というかなり部厚いものを作って、参謀総長や各部に配布していたが、堀の在任中、作戦課と作戦室で同席して、個々の作戦について敵情判断を述べ、作戦に関して所要の議論を戦わしたことは一回もなかった。

  • ・・・・・(省略)・・・・・・・・・・

 

最後は、日本軍の精神主義が、情報的にも盲目にしたという指摘である。

これについては米軍戦法研究の中で再三にわたって「目隠しの剣術」と称して、軍人勅諭や先陣訓だけでは、駄目だと,こき下ろしてきたので詳細は省略するが、クロキナの戦闘で浜乃上連隊長が、「この状況は支那軍相手の戦闘とは全く様子が違う」と言った、あの言葉を思い出して貰えば、情報的にいかに盲目であったかが理解できよう。

 

 以上、五項目の米軍の指摘は、極めて当を得たものであった。

戦後、四十年たった現在、この教訓が、日本でどのように生かされているかとなると、残念ながら「ノー」と言う以外にない。

読者はこの五項目を、ご自分の属する企業や団体にあてはめて検討してみてはいかがだろうか。

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