大東亜戦争考察―蘭印解放作戦(1)「対オランダ単独作戦計画」
大東亜戦争考察―蘭印解放作戦(1)「対オランダ単独作戦計画」
「太平洋戦争は日本に取り、石油に始まり石油に終わった」
戦争の性格をこれほど端的に示す言葉も少ないが、開戦時の日本の戦争指導者は、アメリカ、イギリス、オランダから全面的な経済断交を受けて、とにかく日本が国家として生きるためには、インドネシアの石油が必要だと信じたわけだ。
もし、アメリカやイギリスとは戦争しないで、インドネシアだけを占領して石油が入手できればこれに越したことはなかった。
昭和15年12月に天皇の裁可を得て、翌年4月から発効した昭和16年度の陸軍と海軍の年度作戦計画では、当時の蘭印だけを占領して、アメリカやイギリスの領土には手を触れないで、対蘭戦だけを決行する作戦計画が実在した。
中核地域であるスマトラ島とジャワ島に上陸するのは、陸軍部隊である。
兵力も具体的に検討されていて、第17軍の2個師団基幹と決められていた。
始めに狙うのはスマトラ島だ。
歩兵一個連隊基幹がパレンバン付近とその北西部にあるジヤンピ付近の油田地帯を占領する。
ついでジヤワ島の東西から大規模の上陸作戦を決行する。
軍主力がバタビア(ジャカルタ)に、これと呼応して軍の一部がスラバヤに上陸するのである。
蘭領ボルネオとセレベス島の要地に上陸して占領するのは、海軍部隊の任務とされていた。
海軍の年度作戦計画が残存しないので確認出来ないのだが、マカッサル海峡に面する石油産出地のタラカンとバリックパパンが、最重要の目標とされていたことは確実だ。
ほかにはセレベス島北東端のメナドと、同島のケンダリーとマカッサルの占領が計画されていたこともほぼ確実だろう。
さらに、ボルネオ島南端のパンジェルマシンも目標の中に含まれていたと思う。
対蘭戦だけの場合には、現実の太平洋戦争で日本が行ったように、フィリピンや英領ボルネオ、またはマレー半島の陸上基地から、陸海軍の基地航空作戦を展開することは出来ない。
どうしても空母部隊が開戦初頭に、オランダの航空戦力を圧倒しなければならない。
ちなみに昭和16年12月の時点でオランダの航空兵力は、陸軍航空約150機、海軍航空約100機であった。
作戦がかなりやりにくい。
しかし、精鋭な第一航空艦隊の空母群が、ハワイの代わりに航空撃滅戦に従事するのであるから、それほどの期間を費やさずに蘭印全域の制空権を獲得することが出来るだろう。
次は、上陸作戦だが、陸軍の輸送船団は海軍艦艇に護衛されて、安全が保障されなければならない。
そのためには、上陸地点一帯の一応の制海権が保たれている必要がある。
オランダは昭和15年5月に本国がドイツ軍に占領された後、本国艦隊の巡洋艦2隻のほか、若干の駆逐艦・潜水艦を順次に移動し、昭和16年12月までには兵力を増強して、必死に防備を固めていた。
のちにスラバヤ沖海戦で勇名をはせるドルマン海軍少将が軽巡「デロイテル」に座乗した。
軽巡4、駆逐艦7、潜水艦13隻のほか、海防艦・砲艦・敷設艦・掃海艦・魚雷艇などを含むかなりの艦隊が、蘭印の全領域とモルッカ海峡・マカッサル海峡・スンダ海峡・ロンボック海峡などを固めていた。
しかし、日本の連合艦隊が、第一航空艦隊に続いて、重巡基幹の第ニ艦隊と上陸援護の第三艦隊で戦えば、オランダ海軍を圧倒することは容易だろう。
初期の上陸作戦が成功すれば、そこに陸上飛行場を用意し、基地航空兵力を南部仏印やパラオ諸島から進出させることが可能となる。
制空権と制海権を蘭印全域に確立したあとは、ジャワ島の占領を最終目標とする上陸作戦や陸上戦闘に失敗することはまずないだろう。
蘭印における陸軍動員兵力は12万に達していたが、大部分は現地人で、正規軍でも義勇軍でも白人は少数であった。
この状況で蘭印陸軍を降伏に追い込めることは確実だろう。
アメリカやイギリスが対日参戦しなければ、日本は対蘭一国作戦に勝利を収められる。
油田が破壊されるとしてもこれを修理し、やがてタンカーで南支那海を通って石油を本土に運ぶことが出来る。
インドネシアの政治は、救出するスカルノやハッタなどの民族独立主義者に、委任することが出来るようになるだろう。
そうすれば日本は、アメリカやイギリスの経済制裁を尻目に、日満支と仏印の物質に加えて、インドネシアの石油やゴム、錫などを入手して、ゆうゆうと国力を増進しつつ生きていくことが出来るわけだ。
・・・・ 「次回につづく」・・・・・
・・・・・ 「小生の感想」・・・・・・
今、現在から考えると何故、この作戦を実行しなかったかと思う。
真珠湾攻撃は、どうみても賭博である。
無責任な過去の歴史の結果をを知った後知恵で言わせてもらえば国を賭博に負けた時の担保にしたようなものである。
何故、そう米国との開戦を急いだのかと言えば、戦争に反対していた山本長官に連合艦隊を任せたからである。
山本が米国との戦争に反対していたのは、米国の国力を良く知っていたからである。
だから、山本は米国艦隊を早く壊滅させるために色々と考えた。かなりあせっていたのではないか。
そして海軍の戦艦部隊と空母部隊が敵味方に分かれた演習でハワイ奇襲を思いついた。
ハワイ奇襲は作戦上、攻撃部隊は、11月22日に択捉島単冠湾に集結した。
真珠湾攻撃は成功したが、皮肉にも、宣戦布告が遅れて騙し討ちになってしまった。
それは、山本が一番嫌った卑怯なやりかたであったが、註米大使館でも攻撃があまりにも急なため、暗号解読には時間のゆとりがなかった。
また、駐米大使にも伝達されなかったため、予想察知していなかったからでもある。
山本長官は、やはり海軍大臣として十分腕を振るって貰った方が日本に取っても良かったのである。
何も、あわてて無理な作戦で、実質的には沈めた艦艇は修理されたし、古い艦艇なので米国にとってはそれほどの被害ではなかった。
山本は、連合艦隊指令長官には、米内大将を希望したが入れられなかった。
自分で奇襲部隊の指揮官として日本海海戦に習い旗艦に座乗して陣頭指揮を希望したが入れられなかった。
連合艦隊長官には、山本と同期の嶋田大将に交代した方がよかったのではないか。
つまり、嶋田は、日本海軍の伝統的作戦である日本近海での艦隊決戦を望んだであろう。
勇将で艦隊勤務が長かった嶋田のような長官でよかった。
日本海軍の人事は、兵学校卒業年次と席次や海軍大学校の席次で決められていた。
日本海軍のこうした画一的な人事が、開戦や戦略、作戦の決定の失敗と各戦闘の敗北につながった。
真珠湾攻撃は、ルーズベルが英国に対独戦争を求められていたが米国世論の戦争反対の声によって戦争参加に踏み切れないでいたので大統領を助けた。
しかも、それまで反戦であった米国世論を一挙に開戦に変化させてしまったのから大失敗なのである。
山本長官は、海軍航空の発展に寄与したが、其の賭博好きのため作戦を誤ったのである。
一人、山本だけの責任ではなく耄碌していた永野軍令部長や覇気のない何もしないおとなしい及川海軍大臣たちの責任が大きい。
日本は、確かに武士道の国で潔さや正々堂々と戦う気風や卑怯な行為を嫌い、信義を重んじる国民だが、高潔な日本人同士ならそれで良いが、外国人相手には通用しないということが良くわかっていない。
日本は、蘭印から石油他の物質を購入しようとして蘭印総督と交渉した。
昭和15年8月から16年6月まで1年近く続いたが蘭印総督の強腰によって失敗した。
このことは、不思議でならない。
昭和15年5月にオランダ本国がドイツに占領されていたのだから何故、同盟を結んだドイツ軍幹部に駐独大使や陸軍武官たちが働きかけてオランダに圧力をかけてもらえば、日本の要求を通すことが出来たであろう。
蘭印総督が強腰だったら、海軍の戦艦を派遣して脅かせば簡単に石油など手に入った筈である。
ドイツの力を借りるのは日独伊の同盟国だから当然で有る。
それが、出来なければ一体、何のための同盟かわからない。
あの枢軸同盟は日本にとって何も役立たず、ドイツに大して助けて貰うことがなかった意味のない同盟であった。
日本人は、蘭印本国が独の占領下にある時、砲艦外交を行うのは卑怯だと思ったからではないか。
また、単独に蘭印と開戦するのも卑怯と判断したのだと思う。
しかし、外国相手に卑怯を嫌い其の結果、日本が負けてえらい目にあったのだ。
そういう時、したたかに交渉したり威嚇するのが外国相手の流儀なのだ。
石油は国家の維持に絶対必要な時代であるから、石油確保のため開戦しても問題はなかった筈である。
だから、駐在大使や駐在武官やスパイ組織を使い、外交や諜報活動により、米英の出方の情報を集め分析しある程度の予想をつけて開戦に踏み切るべきであった。
どうも、そういう情報収集の努力の跡が見えないのである。
米国が、イラクとの二度の戦争を始めたのも石油確保が一つの目的であった。
とにかく、蘭印単独開戦のチャンスを逃してしまったけれど、無理に慌てて米国との開戦に踏み切る必要はなかったのである。
太平洋の戦いは、日本が主導権が取れた戦いであり、英米は対独戦で手が一杯で太平洋に力を集中出来なかった。
蘭印との開戦は、米国が石油を売らなかったためであり、それを東郷外相が世界にアピールすれば良かった。
そして我が国が石油無しでは国家存立が危ぶまれるという立場をきちんと説明すれば良かったのである。
しかし、東郷は発表しなかったので国民が知ることが出来なかった。
日本政府や軍による決定は合議制であり、決定が遅れ的確な判断が出来なかった。
海軍で言えば、人事制度に問題があった。
一つは、士官学校の卒業年次によって昇進や重要な役職に就けた。
大学校の卒業生も席次や年次が優先された。
だから、任務に緊張感が欠け、戦時の人事も平時と同じであった。
能力による適材適所の人事が行われなかった。
もう一つは、士官学校、大学校の教育にあった。
まず、ペーパーテストを重んじた。
そして生徒に画一的な教育を行い、誰が任務についても同じ任務をこなせるようにした。
だから、山本長官の言うように金太郎飴のような答えとか思想を持つようになった。
それから、もう一つは、大学校で艦隊決戦を集中して教え、図上演習に力をいれ図演をしてそのレポート提出に追われた。
更にいうと、政治、経済、法律、宗教、語学、世界史、軍事学、科学などの教養科目を教えなかったことが失敗である。
海軍大臣や軍令部長、軍令や作戦、海軍省のスタッフとして世界情勢や政治や国民性などの判断を迫られ、上に報告しなければならないのに、そういう基礎知識が貧弱だった。
海外に派遣され武官として外国に事情を知った者は理解したが少数だった。
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あの、問題の卑怯な「ハル・ノート」であるが、東郷外相は、新聞記者を使って世界にアメリカの対日戦争行為であり日本としては、「このように辱められた以上、対米戦を決意せねばならぬ」と発表すべきであった。
日本がいかに宣伝が下手であるかという例として、あまり賞賛すべき例ではないが中国と北朝鮮はしたたかである。
北朝鮮は、6カ国協議においてのらりくらりと核開発のための時間を稼ぎ経済援助をせしめ核兵器を開発した。
朝鮮人は、大陸の半島に住み常に大陸国家の中国やモンゴルやロシアなどに侵略されてきた。
だから半島人は、長い時間を経て狡賢い民族になったのである。
支那人つまり漢民族も世界で一番ずるく悪賢い民族で、日本が大陸で満州国を作り国家経営を行っていた時、彼らは戦争を仕掛けてきて、お人好の日本人は、泥沼にはまり気がつけば撤退出来なくなってしまった。
日本政府は和平交渉を6回ぐらい試みたが、支那が応じなかったからである。
しかも、スターリンの命令で中国共産党が日本と国民党との戦争を裏で糸を引いていたのである。
支那共産党が中国を手に入れてから、彼らは、日本が13年間でアジア第一の工業国家に作り上げた満州国の鉄道や道路、港湾、ダムナドノインフラや工場を手に入れた。
満州の資産や財産はどれだけ共産党国家の建設に役立ったか。
毛沢東は後年、満州国の遺産で建国が達成出来たと感謝している。
それから、日本軍が中国に損害を与えたとか散々理由をつけて賠償金をむしりとった。
改革開放を始めてから、日本企業を誘致し、製造技術や経済援助をたかり、ODAで巨額の金を日本からせしめた。
日本の援助でもって経済発展を成し遂げた。
日本政府や日本企業は、人がいいから日中友好に騙されて多額の援助をした。
気がついたら、日本の援助資金を軍備に注ぎ今では、最新兵器を備える軍事大国となった。
また、毛沢東は、ソ連の援助で核実験を繰り返し核大国になり、日本が手出しできなくなり、更に海軍の建設に力を入れて南支那海や東支那海に進出し、西太平洋の制海権を手中に収めようとしている。
日本は島国で輸出立国だから、その海運の安全を守るため海軍の存在が必要である。
しかし、白人に押し付けられた憲法のため海軍を保有出来ない。
小学生でもわかるのに、
それを忠実に守り、海軍力の増強に努めようとしないため、中国海軍の脅威に曝されている。
それを招いたのも、日本人が人が良すぎるからであり、日本人は、政府でも軍隊でも会社でも個人でも外国人に騙され続けてきた。
確かに信義を守る、約束を守る、卑怯な振舞いをしない、恥を嫌う、人情に厚いなどは、民族の極めて高度な特質であり、日本人社会では国民の団結力を高めよい結果を出している。
日本人は、世界でも高潔な民族なのである。
しかし、外国民族ではそれが通用しない民族が多い。
勿論、ある民族によっては互いに理解できる場合がある。
個人レベルでも、日本人は、騙されやすい。
私見であるが、日本人は人情に厚いので同情しやすいし、相手の立場に立って心配しノーと言えない場合がある。
だから、結果的には騙される場合が多い。
国家レベルで大東亜戦争に於いても日本人は、戦争が下手であると思う。
アメリカ人は、さすがにアングロサクソンの子孫であり、海賊の祖先であり、中世ではヨーロッパ沿岸を荒らしまわった。
海岸から川を遡り略奪暴行を働き、男を殺し女を連れさった。
アングロサクソンは北欧からイングランドに移住した。
英国やフランスなどでロ-マ帝国が滅んでからの中世は、英国内やヨーロッパ諸国では、戦争は数年おきといって良いほど常に続いていたから、白人は戦争が上手に出来るようになったと思う。
白人は戦争になると其のDNAを受け継ぎ、残忍であり、平気で皆殺しをし、手段を選ばない。
日本人は、織田信長の残忍さを嫌う人が多い。
普通の武将は武勇に優れ、裏切りがなければ助命し、残忍さは少ない。
例えば、真珠湾攻撃で戦艦だけを沈め石油タンクや修理工場には手をつけなかった。
一撃してさっと引き上げた。
潔いと言えばそうなのだが後でそれが、思わぬ災難となって日本海軍を襲った。
ガダルカナルでもそうなのだが、艦砲射撃で飛行場攻撃をして輸送船などを徹底して攻撃せず潔く引き上げた。
一撃してさっと引き上げたため敵に徹底的な打撃を与えることが出来なかった。
徹底的に敵を壊滅させる戦いは少なく、輸送船を余攻撃せず、敵の兵士や物質を叩くと言う発想がなく、潜水艦も敵艦艇や空母の攻撃に使用したため、敵の防御が固く、有効な効果が上がらず、潜水艦の消耗が激しかった。
日本海軍は、戦力を小出しに使い、次第に消耗してしまった。
戦艦大和や武蔵はトラック島に温存され活躍の場を与えられなかった。
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