大東亜戦争考察―実らなかった山本海相案(3)「開戦をめぐる沢本・近藤論争」
大東亜戦争考察―実らなかった山本海相案(3)「開戦をめぐる沢本・近藤論争」
昭和16年7月29日午前9時15分―海軍次官室。
(沢本海軍次官と近藤軍令部次長との論争)
[近藤]:この状態となっては、対英米戦決意の時期だ。
すみやかに徹底的戦備をなす必要がある。
本件に関しては大本営政府連絡会議に提言する必要があるので、其の前に大臣と総長で話しをまとめる必要がある。
[沢本]:アメリカは早晩、ドイツに対して戦争する大勢にある。
米独戦となれば、いわゆる両虎あい争うわけで、アメリカは物資・精神ともに大きな損害を受けるだろう。
日本は参戦するとしても、その状況を見てから決定すればよい。
そうすれば日本の参戦は日独伊三国条約に基づく義務ともなり、ドイツに恩を売ることとなる。
現在の状態で戦争となると、仏印に対する日本の侵略が原因となるような形となり、正義の上からも悪い立場に立つ。
準備を徹底することは勿論必要だが、戦争と決めてかかるのは考慮を要する。
[近藤]:今戦争しなければジリ貧となり、ついに手も足も出なくなる。
フィリピンに来ているアメリカの飛行機は現在、日本の集中勢力の3分の1に達している。
これが2分の1ともなると手が出ない。
開戦の時期だと思う。
アメリカが防御を固めれば手がつけられないので、すみやかな決意が必要だ。
[沢本]:はじめの数ヶ月の戦況は、日本に有利に展開するだろう。
その後はどうなるのか。
石油が急に入手できるわけでもない。
持久戦となると結局、日本に勝ち目はなく、ことにドイツが和平すると日本だけが取り残され、日本はまったく死地に陥る。
過早な断定は厳重に戒めるべきだ。
この際、仏印以上に出ぬことを明白にし、少なくとも独ソ戦と独米戦の結果の目鼻がつくまで形成を観望すべきだ。
駐日イギリス大使のクレーギーは、日本との平和を望んでいた。
期待に反して戦争となり、開戦後帰国したとき「イギリス本国の対日政策が適切さを欠いた」との旨の報告書を提出し、チャーチルを激怒させた人物だが、独ソ戦の直前、
「アメリカもソ連も、まさに戦争に巻き込まれようとしている。
これは確実だ。日本一国だけが、中立を維持できる絶妙の地位にある」
と、日本の外務省官憲に公然と述べていた。
沢本はクレーギーと同じく、世界の形勢観望を説き、
「可能なだけ石油などの物質を取り入れるよう手配すべきだ」と述べるのだが、
南部仏印進駐の勇み足により、近藤を説得できないわけである。
沢本は軍令部の要求を及川に報告した。
及川は形勢観望に同意し、「時間がない」との理由を出して、7月29日の連絡会議への案件提出を拒否した。
永野は翌日、沢本や及川に拒否された案件を、天皇に直訴して問題を起こしたわけだ。
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