大東亜戦争考察―実らなかった山本海相案(1)「弱体だった海軍中央部」

大東亜戦争考察―実らなかった山本海相案(1)「弱体だった海軍中央部」

 

 太平洋戦争前の海軍中央部における首脳の陣容は、それまでの海軍の歴史のどの時代と比較しても、いかにも弱体であった。

 

 海相の及川古志郎は、穏健な思想の持ち主で明白な避戦派であったが、はなはだしく指導力に欠け、つねに優柔不断であった。

 

 及川はかって少佐から中佐の時代、東宮武官として七年間にわたって、皇太子時代の天皇の側近に奉仕した経験があったが、及川が海相に就任するとき天皇は、その温和すぎる性格に危惧の念を示された、というエピソードが伝わっているほどである。

 

 軍令部総長の永野修身は、優秀な将校として昇進し、海軍兵学校長としては、生徒の自主性を尊重するユニークな教育方法を採用するなどして独自の風格を示し、海軍軍縮会議の経験も豊富であったが、

軍令部総長の時代には健康の衰えが目立つようになっていた。

 

 永野は会議中、しばしば居眠りをし、眼から出血することもあったという。

その発言中には時々思慮に欠けて唐突なものがあった。

 

 このように弱体な海軍中央部の陣容を立て直しうる人物として、衆目の一致するところは、

その人望・識見・指導力などから山本五十六であった。

 

 昭和16年夏、天皇の永野に対する不信が国家の最上層部において表面化してから、海軍首脳更迭の動きが潜行していた。

 

 しかし、開戦準備の進展している最中に、連合艦隊司令長官の重職にある山本を交代させるのは、いかにも重大問題であった。

 

 避戦を願望する米内光政などの予備役長老は、山本を海相として呼び戻すことを最良の方策と考えていたが、現役軍人の間では、重大時局における山本連合艦隊司令長官の交代は論外との認識で考慮の外にあった。

 

 ハワイ作戦を実行するかどうかの論争の時、山本が〔ハワイ作戦が採用されなければ、連合艦隊司令長官の職を辞したい〕と述べたとき、海軍中央部で山本の交代論が、誰の口からも出なかったことは、これらの空気を物語っている。

 

 いずれにしても、海軍中央部の更迭には、人事権を有する及川海相の決意が必要となるのだが、

その及川が決断力に欠け、かなりの人々の心配がすくみ合ったまま、時間が経過していったのである。

 

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