歴史写真館「真珠湾攻撃77年」よみがえる奇襲の実像
2018.12.4
歴史写真館「真珠湾攻撃77年」よみがえる奇襲の実像
日本軍による真珠湾攻撃。炎上して沈没する戦艦「アリゾナ」=1941年12月7日(現地時間)
1941(昭和16)年12月7日午前7時49分(日本時間8日午前3時19分)。
日本海軍の空母6隻から飛び立った180余機の攻撃機、爆撃機、戦闘機を率いる飛行総隊長、淵田美津雄は、眼下にハワイ・オアフ島の米海軍基地をみて打電した。
「ト・ト・ト(全軍突撃セヨ)」
日米開戦の火蓋を切る真珠湾攻撃の様子は、日米両軍が撮影した複数の写真によって明らかだ。
米戦艦群に向けて九七式艦上攻撃機が降下し、低空飛行で魚雷を投下する。
真珠湾は水深が浅いため魚雷攻撃は至難とみられていたが、米戦艦の舷側で噴き上がる水柱は、不可能を可能にした日本の兵器開発力とパイロットの練度の高さを雄弁に物語っている。
雷撃隊に続き、急降下爆撃隊が250キロ爆弾を、水平爆撃隊が800キロ爆弾を投下。
米戦艦の甲板を貫通して艦底で炸裂し、火薬庫などに引火して大爆発を起こす。
濛々たる黒煙が上空を覆い、真珠湾は文字通り、地獄と化した。
一方で写真は、日本軍の“戦略ミス”も写し出していた。
オアフ島上空を飛行する攻撃機の下方に見えるのは、450万バレルの重油が貯蔵された燃料タンク群だ。
ここを爆撃すれば太平洋における米軍の作戦行動が長期にわたり制限され、その後の戦況に影響を与えたのではないかとする論争は現在も続いている。
2波にわたる攻撃で米軍に与えた損害は戦艦4隻撃沈、4隻中大破、戦闘機など約230機撃破…。米太平洋艦隊を壊滅状態とした。
◇ ◇
軍事雑誌「丸」編集部が所蔵するおよそ4万枚に上る貴重な写真から、真珠湾攻撃の写真を厳選し、紹介する。
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