タッポーチョ 太平洋の奇跡: 玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語。

タッポーチョ 太平洋の奇跡

玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語。

 

ドン・ジョーンズ著。中村定訳。祥伝社黄金文庫。2011年2月発行。

著者ドン・ジョーンズ:

1924年米国中西部に生まれる。大戦中、海兵隊員としてサイパン戦に参戦。

戦後、GHQ民間要員として日本に3年間勤務。

米国復帰後、新聞記者、NBC放送広報マンとして活躍。

その後、再び国務省報道担当官として、日本、ブラジル、パキスタンに駐在した。

 

 

著者のドン・ジョーンズ氏が突然「大場大尉」と言って私に電話をかけてきたのは、昭和40年だった。

当時、彼は新潟のアメリカ文化センターの所長をしていた。

すでに大場大尉と呼ばれることがなくなって久しかった私にとっては、その呼びかけは異様であり不気味でさえあった。

(大場大尉の「刊行によせて」より抜粋)

 

昭和19年7月7日未明、サイパン島守備の陸海軍全部隊は米軍に総攻撃を行い玉砕した。

北地区隊の歩兵第18連隊の大場栄大尉は、突撃で生き残り、サイパン島中央部にあるタッポーチョ山(473m)のジャングルや洞窟に隠れ、生き残った部隊と他の部隊の兵士を指揮してゲリラ戦を戦うことになる。

 

昭和19年7月から米軍の初めての掃討が行われた。コーヒー山で米軍巡察隊と戦い勝利した。

 

昭和19年7月~10月:タコ山に野営地を作り部隊を移した。

 

昭和19年10月:米軍作戦部では、チラシを撒く作戦を決めた。

 

昭和19年11月:米軍の大掃討作戦が実施された。

米第二海兵師団麾下の3つの歩兵連隊によるほぼ1メートル間隔で横に並んで6キロ間を調べて掃討する作戦であった。

大場の部隊の活動範囲は、縦6キロ、横5キロの地域であり、約300人の人間が隠れているものと推察された。

 

大場大尉はタコ山の頂上から大勢の米兵を見て殲滅的な掃討作戦だとわかった。

そして彼はタコ山の南の断崖に逃げることにした。

絶対絶命だと思われた時、単独で行動していた堀内一等兵が軽機関銃で米兵を射撃した。

応戦する米兵の銃声が断崖から遠くなり崖山の方に誘導してくれて助かった。

 

昭和20年1月:収容所への潜入

大場大尉一人で収容所に潜入した。

そしてビラに書いてある東京空襲について日本人捕虜に本当か聞いた。

 

昭和20年3月:民間人下山

食料が不足して来たので民間人120余人を白旗を掲げさせて収容所に向かわせた。

 

昭和20年3月~4月:崖山への移動

民間人を山から下ろしてから部隊を崖山に移動した。

移動した後、民間人から情報が漏れてタコ山が迫撃砲で攻撃された。

 

昭和20年9月~12月:敗れざるもの

終戦から米軍のルイス中佐と交渉した。

大場は上級指揮官からの命令書がなければ降伏出来ないと言うのを受けてルイス中佐は、パガン島最高司令官の天羽少将の命令書を大場大尉に渡した。

大場大尉は、パガン島の陸軍少将、天羽馬八の署名のある命令書を読んだ。

 

昭和20年12月1日、大場隊47名は軍歌「歩兵の本領」を歌いながら下山して大勢の米兵の見守る中でルイス中佐に正式に降伏した。

午前9時であった。

 

「註:この物語は映画化されたのでご存知の方もおられると思います。」

 

 

 

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