秘話 パラオ戦記 船坂 弘著 NO.3
秘話 パラオ戦記 船坂 弘著 NO.3
「孤島ガラゴンの太陽」
昭和19年11月7日、高垣小隊から小隊長以下9名を選抜して米軍に占領されたガラゴン島斬り込みが決行された。
7日夜、島に上陸した決行部隊は3班に別れ米軍の宿舎を攻撃した。
あわてた米軍は裸のまま逃げ去った。
攻撃後、集合地に集まった部隊は朝食を終えた後、米軍上陸用舟艇が逆襲してきたのを発見する。
小隊長は「どこだ!何隻だ!」と軍刀をひっつかんで立ち上がると「よし、俺の後に続け!米兵を全滅させるんだ!」と叫び南海岸に向かって一気にかけ出した。
すると黎明時に襲撃した米軍宿舎の前方の海岸に数隻の上陸用舟艇が到着していて、その中の第一群が上陸を始めているところでした。
小隊長は我々を滑走路の手前に散開させると「射撃準備、目標前方の米兵!」
と命令しました。
「弾薬を無駄にするな!よく狙え!米兵が滑走路上に姿を表したら一斉射撃をする!一人も逃がすでないぞ!」隊長は右手に軍刀を左手に拳銃を握って中腰になり待ち構える姿勢をとりました。
小隊長の予想通り約1個小隊の米兵が抜き足差し足、滑走路上に進んで来た。
その時です。好機逸すべからずと「撃て!」小隊長の裂帛の気合のこもった射撃命令が出る。
同時に7名の小銃が火をはく。井上上等兵の軽機関銃はダダダダダ・・・・と快調に射撃を始めました。
びっくり仰天した米兵は戦うことはおろか我先に背を向けて逃げ出しました。
米軍は死体を残したまま舟艇に飛び乗って生命からがら海上に逃げて行ってしまいました。
我々は小隊長の的確な指導によってこの戦場に自ら虎穴を掘ることなく強力な敵を撃破することが出来たのです。
その後、我々は船で苦労の末マカラカル島に帰りました。
「語られた勇者の最後」
昭和20年3月9日、陸軍記念日の前の日、小隊長は「今日は魚を獲ってヤシ油で天ぷらにして兵隊たちに栄養をつけてやりたいがどうだろう」と言われました。
林伍長は隊長殿の後に従い三十六湾目指して意気揚々と出発しました。
隊長はガラゴン斬り込み以来、爆雷の製造と信管の研究に没頭していました。
そこで小隊長は「罐詰爆弾」を発明されていました。
「これが完成したばかりの爆雷だ」と言って見せてくれました。
「その日の三十六湾は青く澄んだ海面が不気味な程静かでした。
湾から1キロのところには米軍の艦艇がウヨウヨと浮かんでいます。
「小隊長殿、魚の群れが寄って来ます!」
私の指差すすぐ下で小隊長殿は「罐詰爆弾」に点火しました。
だが、次の瞬間急に導火線の火が消えたのです。
火の消えた導火線を覗きこんでいる小隊長殿の姿が見え、私の感覚の中に確かにその姿が写りました。
「グオグオン」と凄まじい炸裂音を耳にしたと同時に、私の身体は硝煙につつまれたまま、あっというまもなく眼下のリーフに叩きつけられたのです。
硝煙の中で私は、小隊長殿が倒れるのを確かに見ました。
しかし、次の瞬間には、私の両眼は全く見えなくなっていました。
爆風でやられ両眼の視力を喪失し、鼓膜を裂かれてしまったのです。
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