【国会議員に読ませたい敗戦秘話】石原慎太郎が忘れ得ぬ東京裁判で味わった屈辱とは… マッカーサーによる政治ショーの実態を暴く NO.2

【国会議員に読ませたい敗戦秘話】
石原慎太郎が忘れ得ぬ東京裁判で味わった屈辱とは… マッカーサーによる政治ショーの実態を暴く  NO.2

 

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東京裁判の法廷として使用され、現在は市ヶ谷記念館として移設、復元された大講堂。 昭和21年5月3日、東京裁判初日の写真を、現在の写真に重ね合わせた。(被告席左から3人目が広田弘毅、5人目が東條英機)=18日午後、東京・市谷(松本健吾撮影)

東京裁判の法廷として使用され、現在は市ヶ谷記念館として移設、復元された大講堂。 昭和21年5月3日、東京裁判初日の写真を、現在の写真に重ね合わせた。

(被告席左から3人目が広田弘毅、5人目が東條英機)=18日午後、東京・市谷(松本健吾撮影)

 そんな戦勝国の一方的な裁判に正面から異を唱えたのが東條だった。

キーナンによる東條への尋問は47年12月31日から48年1月6日まで続いた。

キーナン「米国は日本に軍事的脅威を与えたのか?」

東條「私はそう感じた。日本もそう感じた」

東條はこう語り、米国にハル・ノートを突きつけられ日米開戦が避けられない状況だったことを縷々説明し、キーナンの「対米侵略戦争論」をはね返した。

東條は尋問直前に提出した口述書でも「この戦争は自衛戦であり、国際法には違反せぬ。

(略)勝者より訴追せられ、敗戦国が国際法の違反者として糾弾されるとは考えたこととてない」と主張。

その上で「敗戦の責任は総理大臣たる私の責任である。この責任は衷心より進んで受諾する」と結んだ。

自らも認めた通り、東條が大戦時の指導者として多くの兵や国民を死なせた責任は大きい。

陸相時代の41年1月に、「生きて虜囚の辱を受けず」の一節を含む戦陣訓を示したことも非難されても仕方がない。

逮捕時に自殺を図ったことも不評を買った。

東條の指導力や先見性にも疑問符がつくが、GHQが貼った「日本のヒトラー」というレッテルはあまりに酷だろう。

少なくとも東條が昭和天皇を守る盾になる一心で東京裁判に臨んだことは論をまたない。

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東京裁判の法廷として使用され、現在は市ヶ谷記念館として移設、復元された大講堂。 昭和21年5月3日、東京裁判初日の写真を、現在の写真に重ね合わせた。(被告席左から3人目が広田弘毅、5人目が東條英機)=18日午後、東京・市谷(松本健吾撮影)

 「日本=侵略国、米国=正義」というGHQの世論操作もあり、東條の遺族に対する戦後日本社会の風当たりはすさまじかった。

 東條の長男、英隆は父親と反りが合わず軍人ではなかったが、戦後は就職できず、長く妻の内職で生計を立てた。

その長男(東條の孫)の英勝は、小学校では誰も担任を引き受けたがらず、友達もいない。

よく登り棒の上から教室をのぞいて過ごした。

自殺を図ったこともあったという。

就職にも苦労したが、「一切語るなかれ」という家訓を死ぬまで守り続けた。

 1972年生まれの東條のひ孫、英利も幼い頃から大人の冷たい視線を感じて育った。

小学校の担任教諭は何かにつけて「東條英機のひ孫の…」と接頭語をつけた。

 小学4年の時、母親に連れられてドキュメンタリー映画「東京裁判」を見に行った。

被告席で東條が国家主義者の大川周明に頭をポカリと殴られたシーンを見ていると、母から「あれがひいおじいちゃまよ」と耳打ちされた。

 57年に東條英機の妻、かつ子が91歳で死去。

玄関に飾られた曽祖父の軍服姿の写真を見て、何となく自分の家族の置かれた状況が分かるようになった。

高校では、社会科で世界史を選択した。

授業中に教諭に東條英機の話を振られるのが嫌だったからだ。

 「私も多少不快な思いをしたけれど父の代に比べればかわいいものです。

父に『これだけは誇りを持て』と言われたのが、GHQがいろいろと探したのに不法な金品財宝が一切なかったこと。

おかげで貧乏暮らしでしたが、今は曽祖父に感謝しています」

 こう語る英利は、自分の息子の名にも「英」をつけた。

重い歴史を背負う東條家の意地だといえる。

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東京裁判の法廷として使用され、現在は市ヶ谷記念館として移設、復元された大講堂。 昭和21年5月3日、東京裁判初日の写真を、現在の写真に重ね合わせた。(被告席左から3人目が広田弘毅、5人目が東條英機)=18日午後、東京・市谷(松本健吾撮影)東京裁判の法廷として使用され、現在は市ヶ谷記念館として移設、復元された大講堂。 昭和21年5月3日、東京裁判初日の写真を、現在の写真に重ね合わせた。(被告席左から3人目が広田弘毅、5人目が東條英機)=18日午後、東京・市谷(松本健吾撮影)

※この文章は、好評発売中の「国会議員に読ませたい敗戦秘話」(産経新聞出版)から抜粋しました。 

産経新聞の東西編集局が特別取材班を組み、あまり光があたることのなかった先の大戦末期から現代までの70年の歴史を貴重な証言をつむぎながらたどったノンフィクションです。

 「敗戦」という国家存亡の危機から復興し、国際社会で名誉ある地位を築くまでになった日本。

その重要な節目節目で歴史の歯車を回し続けたのは、声高に無責任な主張を繰り返す人々ではなく、ごく少数のリアリストたちでした。

彼らが東アジアのちっぽけな島国の独立自尊を保つべく奔走してきた事実を埋もれさせてなりません。

 安倍晋三首相は、憲法改正について「私の在任中に成し遂げたい」と明言しています。

つまり在任中に衆参両院で改憲勢力が3分の2以上を占める情勢になれば、米軍占領下の1947年5月に施行以来、指一本触れることができなかった「平和憲法」の是非を国民一人一人に問いたいと考えているわけです。

 決断の時は迫りつつあります。

国会議員が与野党を問わず、戦後の真の歴史を知らずして、その時を迎えるとしたら、日本国民としてこれほど不幸なことはありません。

 国会議員よ、歴史から目をそむけてはならない。本書にはこんなメッセージがこめられています。

※「国会議員に読ませたい敗戦秘話」のご購入はこちらへ。

 

2016.5.18 11:00更新【国会議員に読ませたい敗戦秘話】石原慎太郎が忘れ得ぬ東京裁判で味わった屈辱とは… マッカーサーによる政治ショーの実態を暴く

GHQが入る第一生命館の前は連日大勢の群衆が詰めかけた。マッカーサーはあえて姿を見せることでその権威を高めていった=昭和21年1月8日、東京都千代田区

ニュース写真

  • ニューギニア・マーカム渓谷での戦闘で輸送機の機銃のそばで指揮を執るマッカーサー。新聞検閲官の経験を持つマッカーサーは戦闘報告も自ら執筆し、「闘将」を演出し続けた=1943年9月5日(ACME)
  • 東京裁判の法廷として使用され、現在は市ヶ谷記念館として移設、復元された大講堂。 昭和21年5月3日、東京裁判初日の写真を、現在の写真に重ね合わせた。(被告席左から3人目が広田弘毅、5人目が東條英機)=18日午後、東京・市谷(松本健吾撮影)
  • ウェッブ裁判長から死刑宣告を受けた東條英機。「わかっておる」と言わんばかりに深くうなずき、ヘッドホンを外して退廷した=昭和23年11月12日

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