【国会議員に読ませたい敗戦秘話】朝日新聞の「従軍慰安婦」報道を鵜呑みにし、謝罪を繰り返した政治家たちよ 歴史から目をそむけまい

【国会議員に読ませたい敗戦秘話】
朝日新聞の「従軍慰安婦」報道を鵜呑みにし、謝罪を繰り返した政治家たちよ 歴史から目をそむけまい

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特集「慰安婦問題を考える」を8月5、6両日付の朝刊に掲載した朝日新聞。これで歴史を直視したと言えるのか?【撮影日:2014年08月07日】特集「慰安婦問題を考える」を8月5、6両日付の朝刊に掲載した朝日新聞。これで歴史を直視したと言えるのか?【撮影日:2014年08月07日】

 「歴史から目をそむけまい」

 朝日新聞は1992年1月12日付でこう題する社説を掲載し、「従軍慰安婦」について「挺身隊の名で勧誘または強制連行され、各地で兵士などの相手をさせられた」と断じ、軍や政府の関与を否定する日本政府を非難した上で大上段にこう説いた。

 「恥ずかしい体験はだれでも思い出したくないものだ。

しかし、戦争という特異な状況のもととはいえ、植民地下の朝鮮から多数の人々を駆り出し、男性には労務や兵役を、女性には兵士の慰安をという役割を強要したのは、たかだか半世紀前のわが国であった。

この事実の重みは私たちが負い続けなければならない。歴史から目をそむけることはできない」

 朝日新聞はこれに前後して従軍慰安婦キャンペーンを繰り広げ、「太平洋戦争に入ると主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。

その数は8万人とも20万人ともいわれる」と主張した。

この報道を受け、韓国では激しい日本批判が巻き起こり、直後に訪韓した宮沢喜一首相(当時)はろくに事実関係を調べもせずに計8回も謝罪と反省を繰り返した。

 ところが、論拠となる「朝鮮人女性を『慰安婦狩り』と称して強制連行した」という説は、元山口県労務報国会下関支部動員部長を名乗る吉田清治氏(故人)の完全な作り話だった。

そもそも従軍慰安婦というのは戦後の造語にすぎず、朝日新聞が混同した「挺身隊」と「慰安婦」は全く別なものを指す。

日本軍や政府が慰安婦の強制連行に関与したことを示す資料も見つかっていない。

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にもかかわらず、朝日新聞はほっかむりを決め込み、吉田証言を「虚偽」と認め、挺身隊と慰安婦を「まったく別」「誤用した」と認めたのは2014年8月5日。

実に20年以上の月日が流れていた。

 問題なのは、朝日新聞の“虚偽報道”だけではない。

日本の国会議員の多くが朝日新聞や一部テレビなどの偏った報道を鵜呑みにし、ろくに調査や検証もせずに謝罪と反省を繰り返してきたことにある。

 その最たるものは93年8月4日に宮沢内閣の河野洋平官房長官(当時)が発表した「慰安婦関係調査結果発表に関する官房長官談話」(河野談話)だろう。

 河野氏は談話で「旧日本軍の直接あるいは間接の関与」を認め、「心からのお詫びと反省」を述べた。

この談話により、慰安婦問題は日本政府の「お墨付き」を得た形となり、異論を唱えると「歴史修正主義者」などと激しいバッシングを浴びた。

たった一人の詐話師の作り話は独り歩きし、一時は中学校のすべての歴史教科書に慰安婦に関する記述が載った

 韓国の反日団体は日本の左翼団体などと連携して「20万人がセックススレイブ(性奴隷)として強制連行された」というウソを世界中で流布し、96年には国連人権委員会に「慰安婦=性奴隷」とするクマラスワミ報告書が提出された。

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特集「慰安婦問題を考える」を8月5、6両日付の朝刊に掲載した朝日新聞。これで歴史を直視したと言えるのか?【撮影日:2014年08月07日】特集「慰安婦問題を考える」を8月5、6両日付の朝刊に掲載した朝日新聞。これで歴史を直視したと言えるのか?【撮影日:2014年08月07日】

 ようやく、2016年2月になって、外務省の杉山晋輔外務審議官が国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦の強制連行説は吉田清治氏による「捏造」であり、

「朝日新聞により事実であるかのように大きく報道され、日韓の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」

「複数の研究者により完全な想像の産物であったことがすでに証明されている」と明言した。

 画期的だと言えるが、それでも、国際社会に広まった「慰安婦=性奴隷」という誤解を解くのは容易ではない。

慰安婦問題は今もなお日韓関係に深く刺さるトゲとなっており、韓国系団体は世界各地に慰安婦少女像を建てる動きを続けている。

逆説的ではあるが、朝日新聞が言う通り、国会議員が「歴史から目をそむける」ことなく、もっと早く慰安婦問題の真実を追求していれば、ここまで問題がこじれることはなかったに違いない。

 戦中・戦後史の内幕を追うと、驚くほどよく似たパターンの歴史が繰り返されてきたことが分かる。

歴史の節目といえる事案が起きる度に、「日本を貶めよう」と考える勢力と、これと結託した一部メディアが恣意的なプロパガンダ報道を繰り広げ、多くの国会議員が付和雷同もしくは右往左往することにより、結果的に歴史は大きく歪められてしまっていたのである。

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 沖縄の戦後史もそうだ。

沖縄の地上戦は凄惨を極め、日本側の死者数は20万人、この半数近くが一般人だったとされる。

米軍が投じた兵力は延べ54万8千人、艦艇約1500隻、砲弾は270万発に上った。

「鉄の暴風」という表現は決して過大ではない。

 さらに戦後長く米国の統治下の置かれ、苦難の道を歩んだ。

「核抜き・本土並み」で日本に正式返還されたのは1972年。

佐藤栄作元首相の大きな政治遺産といえるが、これは本土と沖縄の人々の熱意があってこそ実現したのだ。

 ところが、沖縄返還の際も、社会、共産両党は米軍全面撤退を含めた「即時・無条件・全面返還」という非現実的な要求を掲げて政府を激しく非難した。

この流れは沖縄の地元2紙に今なお引き継がれ、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設問題に連なっている。

 沖縄から米軍が即時撤退して喜ぶのはどこの国なのか。

米軍が92年にフィリピンのクラーク空軍基地、スービック海軍基地を撤退後、南シナ海の南沙諸島で一体何が起きたかを考えれば十分に分かるはずだ。

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 にもかかわらず、国会議員は歴史から何も学んでいなかった。

民主党の鳩山由紀夫元首相が、沖縄の戦後史をわずかでも学んでいれば、普天間飛行場の移設先について「最低でも県外」などと口走ることはなかっただろう。

沖縄県の翁長雄志知事が反米軍基地派に転向し、国連人権理事会で「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と訴えることもなかったはずだ。

ましてや沖縄の海の玄関口である那覇港に、中国の冊封体制に入ったかのごとく4本爪の龍柱を建てることもなかったのではないか。

そもそも翁長知事は、龍柱で一体誰をお迎えしようとしているのか-。

◇   ◇   ◇

※この文章は、4月13日発売の「国会議員に読ませたい敗戦秘話」(産経新聞出版)から抜粋しました。

産経新聞の東西編集局が特別取材班を組み、あまり光があたることのなかった先の大戦末期から現代までの70年の歴史を貴重な証言をつむぎながらたどったノンフィクションです。

 「敗戦」という国家存亡の危機から復興し、国際社会で名誉ある地位を築くまでになった日本。

その重要な節目節目で歴史の歯車を回し続けたのは、声高に無責任な主張を繰り返す人々ではなく、ごく少数のリアリストたちでした。

彼らが東アジアのちっぽけな島国の独立自尊を保つべく奔走してきた事実を埋もれさせてなりません。

 安倍晋三首相は、憲法改正について「私の在任中に成し遂げたい」と明言しています。

つまり在任中に衆参両院で改憲勢力が3分の2以上を占める情勢になれば、米軍占領下の1947年5月に施行以来、指一本触れることができなかった「平和憲法」の是非を国民一人一人に問いたいと考えているわけです。

 決断の時は迫りつつあります。国会議員が与野党を問わず、戦後の真の歴史を知らずして、その時を迎えるとしたら、日本国民としてこれほど不幸なことはありません。

 国会議員よ、歴史から目をそむけまい。

本書にはこんなメッセージがこめられています。

※「国会議員に読ませたい敗戦秘話」の発売は4月13日。ご購入はこちらへ

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