【記憶の風景-戦後70年】昭和20年8月6日 広島
【記憶の風景-戦後70年】
昭和20年8月6日 広島
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■原爆投下、運命の8時15分
「空から黒い塊が落ちてきた」。昭和20年8月6日の広島市。
暑い夏の朝だった。鳥越不二夫さん(84)が目撃したのは投下された原子爆弾。
当時の自宅は市西部の山手町(現在の西区)、爆心地から約2キロにあった。
落下物を「何だろうな」と思った瞬間、強烈な光で座り込んだ。
灼熱(しやくねつ)の太陽よりまぶしい光の塊。
空一面がオレンジ色に包まれた。
立ち上がろうとすると「ザーッ」という轟音(ごうおん)とともに、沸騰した蒸気のような熱風が襲った。
10メートルほど離れたコンクリートの防火水槽まで飛ばされ意識を失った。
あの日、中学3年生の鳥越さんは、朝から市中心部で学徒動員作業に従事する予定だったが、健康診断の再検査のため自宅にいた。
「8時15分に何をしていたかで運命が変わった」。
約50人いた鳥越さんの級友は全員犠牲になった。
自宅周辺に押し寄せる猛火の市街地から逃れた人たち。
熱線で顔は溶け、両腕の皮膚がたれ下がっていた。
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被爆時、半袖シャツを着ていた鳥越さんの首元にはV字の跡が残る。
後遺症の白血球減少症と闘いながら教職を全うした。
今でも被爆体験を子供たちに話す機会があるが、核廃絶などの難しい話はしない。
人を思いやり、争いごとをなくすことの大切さを教えている。
7月末の暑い日、広島平和記念公園の慰霊碑前で、鳥越さんは亡き母が歌ってくれた子守歌をハーモニカで吹いた。
セミの声と優しい音色が一緒になって、70年目の夏空に溶けていった。(写真報道局 奈須稔)
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動画とパノラマ写真は「産経フォト」(http://sankei.com/photo/)でご覧になれます。
2015.8.2 13:30更新【記憶の風景-戦後70年】昭和20年8月6日 広島
夕刻の元安川に映る原爆ドーム。水を求め大勢の被爆者が飛び込んだ=広島市中区
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