【記憶の風景-戦後70年】パラオ・ペリリュー島 緑が覆う慰霊の島
【記憶の風景-戦後70年】
パラオ・ペリリュー島 緑が覆う慰霊の島
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太平洋に浮かぶ島国、パラオ共和国のペリリュー島。
サンゴ礁の島を上空から見ると、深い密林を滑走路が貫いていた。先の戦争の前に日本が建設した飛行場だ。かつては、十字に交差する滑走路が2本あったが、1本は生い茂るジャングルに覆われていた。
戦没者慰霊のため、天皇、皇后両陛下が9日に初めて訪問される日米激戦の島は面積約13平方キロ。
ここでは昭和19年9月15日から74日間に及んだ戦闘で、日本軍約1万人と米軍約1700人が命を落とした。
米軍は日本本土攻略の足がかりに、飛行場がある島を狙ったともいわれる。
強い日差しを浴び、ジャングルの山を登ると、日本軍が潜んだ無数の洞窟陣地がぽっかりと口を開けていた。
一部に残る、米軍の攻撃で焼き払われた跡が生々しい。
中に踏み込むと、ほこりっぽい匂いが鼻をつく。
時折、静寂を破るコウモリの羽音。
厳しい環境の中で日本軍は圧倒的な戦力の米軍に抵抗したが、最後は玉砕に追い込まれた。
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若い1等兵が決死隊を志願、地雷を抱えて戦車に突撃した姿が忘れられない。
「70年たった今も昨日のことのようで、考えると涙が出る」という。
土田さんは指揮官が自決して組織的な戦闘が終わった後も洞窟に潜伏、説得に応じ生き残った34人で姿を現したのは、終戦から1年半以上が過ぎた昭和22年4月だった。
一緒に生還した、元陸軍兵の永井敬司さん(93)は昨年11月、島で戦った所属部隊の慰霊式に参列した。
「今も心に残っているのは、水も食料もない壮絶な戦いで亡くなった戦友たちの姿。
安らかに眠ってほしい」と手を合わせた。
(写真報道局 松本健吾)
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動画は「産経フォト」sankei.com/photo/、または「YouTube」産経新聞チャンネルでご覧になれます。
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