【記憶の風景-戦後70年】イペリット、ルイサイト、青酸ガス…地図から消された「毒ガス」製造の島 広島県「大久野島」
【記憶の風景-戦後70年】
イペリット、ルイサイト、青酸ガス…地図から消された「毒ガス」製造の島 広島県「大久野島」
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赤黒くさびた窓枠から、無機質な廃虚に差し込む陽光、レンズを見つめるウサギ…。
広島県竹原市の忠海(ただのうみ)港の沖合3キロ、瀬戸内海に浮かぶ大久野島(おおくのしま)に昭和4年、日本陸軍は毒ガス工場「東京第二陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)忠海製造所」を造った。
周囲4キロの島には今も発電場や毒ガス貯蔵庫の跡などが残り、現実離れした風景が広がる。
大久野島は明治時代、日露戦争に備えて22門の大砲が設置され、要塞と化した時期があった。
毒ガス製造は機密厳守が不可欠。
事故の懸念もあったため、外界から隔絶された島が工場建設地に選ばれた。
島は機密保持のため昭和13年には地図からも姿を消した。
製造された毒ガスはイペリット、ルイサイト、青酸ガスなど5種類。
19年までの15年間に約6616トンが造られた。
毒ガスは北九州市の毒ガス弾製造工場に送られたり、島で保管され戦後、周辺海域に捨てられるなどした。
「戦争で使った毒ガス施設が現存するのは世界でも珍しい。
広島や長崎など、日本の戦争被害を語る施設は多いが、毒ガス施設は日本の戦争加害を伝えている」と大久野島毒ガス資料館の高島徳明さん(70)は話す。
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