【戦後70年 核物理学の陰影(下)】悲運の加速器、海底に沈む 「米国の誤謬、もはや絶望」NO.2

【戦後70年 核物理学の陰影(下)】悲運の加速器、海底に沈む 「米国の誤謬、もはや絶望」NO.2

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理研跡地に保存されている、戦後最初に再建されたサイクロトロンの磁石=東京都文京区

 

 こうした事態を受け長官は「陸軍省の軽率な行動を遺憾とする」との声明を発表。

破壊命令が誤りだったことや、科学者の意見を聞くべきだったことを認め、謝罪した。

連合軍はドイツで物理学者を逮捕して尋問したが、サイクロトロンは破壊しなかった。

米国の終戦処理における失態ともいえる破壊事件は、日本の原子核研究に深い傷跡を残した。

■ ■

破壊された計4台のサイクロトロンは海に沈められたとされるが、その行方は不明な点も多い。

理研の残骸が捨てられたのは東京湾で、米ライフ誌は「水深4千フィート(約1200メートル)の海底」と伝えた。

米国立公文書館の資料から近年、場所は横浜沖と分かったが、それ以上の情報はない。

引き揚げることはできないのか。

そんな話が関係者の間でしばしば出るが、多額の費用と大掛かりな捜索が必要だ。

仁科の関連資料を整理している理研の富田悟氏(63)は「引き揚げれば科学史上、非常に価値のある資料になるが、実現は難しい」と話す。

大阪大の投棄場所は大阪湾とされるが、詳細は不明だ。

撤去を目撃した福井崇時氏によると、占領軍がいた大阪市住吉区杉本の市立大学運動場に運ばれたが、その後は分からないという。

京大の行方は全く分からない。

琵琶湖に捨てたとの俗説には否定的な見方が多く、大阪湾ともいわれるが、はっきりしない。

米国は破壊の翌年、GHQに聞き取りをして追跡調査したが、突き止められなかった。

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立命館大の中尾麻伊香専門研究員は大学院生時代から約9年間、京大のサイクロトロンと核開発史を研究してきた。

「部品の一部が残っていると聞いたことをきっかけに、戦時中の原爆研究を知った。

調査するうちに知られざる科学者の思いや情熱に触れ、興味深いと感じた。

失われた磁石の行方も探りたい」と話す。

破壊されたサイクロトロンの関連資料を探し、継承する努力は今も続く。

京大では今年、新たに図面が見つかった。

政池明京大名誉教授(80)は「日本の原子核物理の基礎となった図面だ。

科学史を調べる上で非常に意義がある」。

仁科の執務室で発見された図面は、現在も関係者が大切に保管している。

仁科記念財団の矢野安重常務理事(67)は「きちんと後世に伝えていかなくては。それが私たちの責任だ」と話した。

 □断絶と再建

戦後、世界水準へ発展

サイクロトロンの破壊で実験が断絶した日本の核物理学。

復活の契機となったのは、その発明でノーベル賞を受賞したローレンス博士の来日だった。

昭和26年5月に理研を訪ねると、破壊された小型サイクロトロンの予備の磁石が放置されているのを見て「これですぐに再建すべきだ」と提案。

仁科芳雄博士の死後4カ月のことだった。

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