【戦後70年 核物理学の陰影(下)】悲運の加速器、海底に沈む 「米国の誤謬、もはや絶望」NO.1
【戦後70年 核物理学の陰影(下)】
悲運の加速器、海底に沈む 「米国の誤謬、もはや絶望」NO.1
(1/9ページ)【戦後70年】
理研跡地に保存されている、戦後最初に再建されたサイクロトロンの磁石=東京都文京区
理研・仁科博士
終戦から3カ月が過ぎた昭和20年11月24日の朝。東京・駒込の理化学研究所に突然、2台のブルドーザーがやってきて、門や建物の塀を壊し始めた。
「全てのデータを押収し、理研、大阪帝国大(現大阪大)、京都帝国大(現京都大)のサイクロトロンを破壊せよ」
米陸軍省が原子核の研究装置である円形加速器「サイクロトロン」を原爆製造用と誤認し、連合国軍総司令部(GHQ)に破壊命令を出したためだ。
サイクロトロンは電磁石で作った円形の軌道で電気を帯びた粒子を加速し、実験試料にぶつけて核分裂を起こしたり、放射性同位体を作ったりできる。
当時の核物理学の最先端装置だった。
理研には大小2台のサイクロトロンがあった。
小型は仁科芳雄博士が12年に世界で2番目、国内で初めて製作したものだ。
大型は当時の世界最大級で、重さは磁石だけで200トンもあり、6年かけて18年末に完成した。
仁科が日本陸軍から依頼された原爆開発の「ニ号研究」では、小型を使ってウラン濃縮の成否を確認し、大型の開発計画も盛り込まれたが、いずれも原爆を製造する装置ではなかった。
■ ■
仁科は戦後、GHQと交渉し、放射性同位体を作って生物学や医学への応用研究に使う許可を得ていた。
新たな時代に向け、希望をつなぐ装置のはずだった。それが一転して破壊される事態に直面した。
仁科が将兵に猛然と抗議する様子を米ライフ誌が伝えている。
(2/9ページ)【戦後70年】
理研跡地に保存されている、戦後最初に再建されたサイクロトロンの磁石=東京都文京区
「これは私の研究生活10年分の成果である。原爆とは無関係だ」。
壊さないでくれと嘆願する傍らでは妻と女性秘書がすすり泣いていた。
仁科は東京・有楽町のGHQ本部にも乗り込み「なぜ破壊するのか。
米政府は科学者に意見聴取したか」と問いただした。
科学者なら装置の価値を理解し、壊せというはずがない。
彼らの意見を確認するまで、破壊作業を停止させるためだった。
だが回答は「ワシントンの科学者も承知した上での決定だ」。
仁科は言葉を失う。
「科学者も含めて米国全国民の誤謬(ごびゅう)であるため、もはや絶望なることを知り退出した」。
後の書簡にこう記したが、米側の回答は虚偽だった。
将兵らはアセチレンバーナーで焼き切るなどしてサイクロトロンを破壊。
数百トンもの残骸をクレーンで巨大なトレーラーに積み込んで運び出し、東京湾に沈めた。
科学に対する理不尽で侮辱的な行為は、日本の敗戦を象徴するものだった。
全ての破壊が終わった日の晩。次男の浩二郎氏(83)は「まるでお通夜のようで、憔悴(しょうすい)した表情の父を前に、誰も一言も話せず重苦しい雰囲気が広がった」と振り返る。
■ ■
ニ号研究の分室が置かれた大阪大でも同様の光景が繰り広げられた。
当時学生だった福井崇時(しゅうじ)名古屋大名誉教授(91)は壁を壊すブルドーザーを見て、度肝を抜かれた。
「やられたと思った。悲しかったですよ。放心状態だった」
(3/9ページ)【戦後70年】
理研の大型サイクロトロンは仁科が心血を注いで作った。
開戦で海外からの学術情報が途絶し、物資不足で製作が困難を極める中で、サイクロトロンの発明者で親交があった米物理学者のローレンス博士の元に弟子を派遣。
博士は敵国側でありながら協力した。
仁科は破壊の翌年、博士に宛てた手紙で、こう心情を吐露している。
「あなたが助けてくれて建設したサイクロトロンは、不幸なことに太平洋の底深く永遠に消えてしまった。
それは、ただ破壊されるために作られたといえるかもしれない。
戦争のせいで、研究には全く使うことができなかったのだから」
失意の仁科はその後、所長として理研の再建に追われ、研究生活に戻ることなく世を去った。
◇
□非難と謝罪
科学史に汚点、行方は謎
科学史に汚点を残したサイクロトロンの破壊は、なぜ起きたのか。
関係資料によると、米国の原爆開発計画に関わった陸軍のブリット少佐が原爆開発装置と思い込み、パターソン陸軍長官の承認を得ずに独走。
GHQに対して破壊命令を出すよう働き掛けたことが原因だった。
破壊が報じられると、米国の科学者は「人類に対する犯罪だ」「理不尽な愚行」などと強く非難。
仁科芳雄博士は、米国の科学者も承知の上だとしたGHQの説明が嘘だったことを知る。
暴挙に対する怒りの声は大きく広がり、米マサチューセッツ工科大の科学者らは陸軍長官に抗議文を送付。
終戦直後、仁科にサイクロトロンの使用許可を出すよう勧告した米物理学者は少佐の罷免を求めた。
最近のコメント