【天皇の島から 戦後70年・序章(2)後半】日本の教育や経済発展 「我々は昔に戻るべきだ」NO.2
【天皇の島から 戦後70年・序章(2)後半】
日本の教育や経済発展 「我々は昔に戻るべきだ」NO.2
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ペリリュー島の日本軍司令部跡。長年の月日でツタや植物に覆われていた。
一歩、踏み込むと弾痕や破壊された跡も生々しく残っていた=12月11日、パラオ共和国・ペリリュー島(松本健吾撮影)
マルタンサン・ジラムさん(83)は公学校跡地の門柱の前を通ると、毎朝「おはようございます」とヒラマツ先生にあいさつしていたのを思い出すという。
公学校の2年生まで日本語の勉強をしたが、3年生の時、空襲で学校がなくなり、疎開した。
ジラムさんは当時を懐かしむように、「桃太郎」を歌ってくれた。
「ヒラマツ先生に会いたい。優しくていい先生だった。
『お父さん、お母さんを大事にしなさい』『家のことを手伝いなさい』『ありがとうと言いなさい』『困っている人がいれば手伝いなさい』と教えられた」
悪いことをすると叱られたという。
「だから、私も子供が悪いことをすると謝るまで手を上げた。
ヒラマツ先生に教えられたことは5人の息子に伝えてきたし、息子には子供ができたら同じように伝えなさい、と話している」と語った。
アマレイ・ニルゲサンさん(79)によれば、「半ズボン」「便所」「草履」「熊手」「大丈夫?」「先生」「大統領」「飛行場」「バカ野郎」「ごめんなさい」「よろしく」「面白い」「飲んべえ」「ビール」「野球」「勤労奉仕」「炊き出し」など、多くの日本語がパラオ語として定着しているという。
イサオ・シンゲオ・ペリリュー酋長(しゅうちょう)は「戦争は良くない。
だが、日本は新しい生活様式を伝えてくれた。
われわれの生活スタイルが近代化し、生活が向上したのは日本のお陰だと感謝している」と笑顔を見せた。
ウエキさんも「統治時代の教育や経済発展を通して、パラオ人は日本人として育てられた。
パラオ人は日本に感謝している。
今は日本語を話すのは少なくなったが、われわれは日本に戻るべきだと考えている」といい、
「天皇陛下がいらっしゃるのがうれしい」と何度も繰り返した。
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イナボさんは雑誌のインタビューに「(日本人から)勉強、行儀、修身、男であること、責任を持つこと、約束を守ることを教えられた。
男とは自分に与えられた義務を成し遂げる、任務を果たすことなんです。
パラオは昔の日本と近い」とも語っている。
パラオの人たちの心のどこかに、日本を“親”“身内”のような存在ととらえているのではないだろうか。
そして、パラオには日本以上に日本の心が生きているではないか-。
そんな印象を抱いた。
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