【天皇の島から 戦後70年・序章(1)後半】時を超え眠り続ける「誇り」 集団疎開させ、島民を守った日本兵 NO.2

【天皇の島から 戦後70年・序章(1)後半】
  時を超え眠り続ける「誇り」 集団疎開させ、島民を守った日本兵 NO.2

 

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ペリリュー島に残る、旧日本軍が使用していた隣のゲドブス島との間に架けられていた桟橋跡。

夕暮れに橋脚のシルエットが浮かび上がった=12月12日、パラオ共和国・ペリリュー島(松本健吾撮影)

 

 日本兵の慰霊にこだわるのは、シノズカさんやウエンティさんだけではない。

ウエキさんは「多くの島民が慰霊碑の建設や遺骨収容などに協力している」という。

これほどまで日本兵の慰霊にこだわるのはなぜか。

ペリリュー州のシュムール州知事の母親、メンロムス・エテペキさん(89)は「なぜ、日本軍と米軍が自分の島で戦ったのか、という憤りはあった」と、一瞬、表情をこわばらせたが、すぐに「今は悪感情はない」と、笑顔で続けた。

彼女は、自分の名前をカタカナで書きながらこう話した。

「31年にわたる統治時代を通し、日本に対して特別な感情が育まれていた。日本への思いは深い」

◇    ◇

パラオ共和国 

赤道に近い太平洋上に位置し、大小500以上の島を抱える。

総面積は488平方キロ。

1920年(大正9年)、第1次世界大戦後に日本の委任統治下に。

先の戦争後、米国の統治下に入ったが、94年(平成6年)に共和国として独立。

10島に人が住み、人口は約2万920人(外務省ホームページから)。

委任統治時代、日本はパラオに南洋群島全体を管轄する南洋庁本庁を設置。

パラオには学校や病院、気象台、郵便局などが建設されたほか道路などインフラも整備された。

最盛期の43年(昭和18年)には2万7444人の日本人が住んでいた。

 

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ぺリリュー島の戦い 

パラオ群島にある南北約9キロ、東西約3キロ、面積約13平方キロのサンゴ礁の島。

先の戦争では、マリアナ・パラオ諸島の戦いの中心地となり、昭和19年9月15日から74日間にわたり、日本軍守備隊と米軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた。

戦史叢書「中部太平洋陸軍作戦」(防衛庁防衛研修所戦史室著)によると、戦闘は、日本軍9838人に対して米軍は約4万2千人で始まり、日本軍は最終的に1万22人の戦死者と446人の戦傷者を出して玉砕。

米軍も1684人の戦死者と7160人の戦傷者を出した。

日本軍は34人が生還した。

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