南太平洋海戦(上) 「俺が大和で…」焦る山本五十六 日本軍に立ちはだかったレーダーとヘンダーソン飛行場

南太平洋海戦(上) 「俺が大和で…」焦る山本五十六 日本軍に立ちはだかったレーダーとヘンダーソン飛行場

 

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ヘンダーソン飛行場

ヘンダーソン飛行場

 昭和17年10月、ガダルカナル島での日米の攻防は物量豊富なアメリカ側が昼間で優位に進める一方、夜戦を得意とする日本側は度々の夜襲で敵を混乱に陥れるなど、一進一退の状態が続いていた。

特に日本軍にとって目の上のこぶとなったのは、レーダーと島のヘンダーソン飛行場の存在だった。

夜に紛れての飛行場砲撃で派遣した艦隊もレーダーのため、初弾が命中するといった憂き目にもあった。

そんな中、山本五十六・連合艦隊司令長官が頼りにしたのは2隻の高速戦艦だった。

初弾命中

10月11日、米・ヘンダーソン飛行場の砲撃を目的に派遣された日本海軍第6戦隊の重巡「青葉」など重巡3隻が駆逐艦2隻を伴い夜闇に紛れて、飛行場近くのサボ島付近を航行している最中だった。

午後9時43分に青葉の見張員が10キロ先を航行中の複数の艦船を目撃する。

報告を受けた艦隊司令官の五藤存知(ありとも)少将は陸軍の兵器を島に輸送した水上機母艦とみたが、進路方向が逆なので様子を見ながら前進を続けた。

そして距離が7キロに縮まったころ、見張員から「さきほどの艦船は敵」とする報告を受け、とっさに五藤少将は総員配置と艦隊の変針を命じる。

だが、午後10時20分、上空に照明が降り注ぐと1発目の砲弾が青葉の艦橋に命中した。

大きく損壊することはなかったが、当たり所が悪く、五藤少将は戦死、多数の幹部も死傷した。

司令官を失った青葉は戦列を離れると、今度は2番艦の重巡「古鷹」が集中攻撃を受け沈没する。

 

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 アメリカ艦からの初弾命中は、これまでは精度が不足していたアメリカのレーダーが、いよいよ本格的に実戦段階に入ったことを示す証しだった。

日本もレーダーの重要性は認識していた。

1カ月半前の第2次ソロモン海戦では空母「翔鶴」搭載の「電探」が敵機の探知に成功したが機能は劣り、まだ目視に頼っていた。

それだけに、アメリカにレーダー技術で先を越されたばかりか、日本側が得意にした夜戦が通用しない日がもうそこまで来ていることを思い知る衝撃的な出来事だったに違いない。

目の上のこぶ

日本軍の目的はあくまでもガダルカナル島の奪回だった。

そのためには島にのヘンダーソン飛行場に配置された航空兵力をそぎ、周辺海域で行動中の機動部隊を撃滅することだった。

連合艦隊はミッドウェー作戦で4隻の主力空母を失ったものの、北太平洋のアリューシャン作戦中だった空母「飛鷹」「隼鷹」を中心とする第2航空戦隊を南に転進させるなど必勝態勢で臨んだ。

この2隻の空母は豪華客船を改装した艦で、防御力や速力は、正規空母の「翔鶴」「瑞鶴」には劣るものの、船体は基準排水量24000トン級と大きく、同等の攻撃力を備えていた。

一方、アメリカ側の空母は無傷の「ホーネット」のほか第2次ソロモン海戦で損傷し、まもなく修理を終える予定の「エンタープライズ」との2隻で日本の機動部隊と対峙(たいじ)しなればならず、いぜん不利な状況は続いていた。

 

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 このためヘンダーソン飛行場の存在は大きかった。

日本は陸軍の兵や装備の上陸を行い、最初の原因は戦いを甘くみていた陸海軍にもあるが、占領後に戦力を増強したアメリカ軍が制空権を抑えていたため、大規模な攻勢をとることができなかったのだ。

日本もラバウルに一大航空勢力をもっていたが、1000キロ近くも離れ、ようやく航空機の行動半径に届くといったありさまで、決定的なダメージを与えることができない。

「今の戦い、制空権なきものは敗れる」を承知していた連合艦隊司令長官の山本五十六大将にとって、ヘンダーソン飛行場は目の上のこぶの存在だった。

砲撃は成功するも…

山本大将は砲撃の続行を決め、「金剛」「榛名」の2隻の巡洋戦艦からなる第3戦隊を指名する

重巡の20センチを上回る36センチ砲の破壊力。巡洋艦と比べて遜色ない30ノットの速さ。

山本司令長官はトラック泊地に停泊中の戦艦「大和」に第3戦隊司令官の栗田健男中将を呼び、砲撃を要請する。

栗田中将は「危険が大きい」と反対するが、山本司令長官が「それなら俺が大和で」と語気を強めてきたため、しぶしぶ11日午前3時半、出撃する。

敵の目を欺くため北進後の午前8時、南進に転じて島を目指す。

途中で第6戦隊の砲撃失敗を知り、偵察機から周辺に敵艦隊の情報が次々に入ることから警戒を強める。

 

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 ところが、まったく敵艦に発見されることなく、島のエスペランス岬の明かりが確認できるほどに近づくと18ノットで突入を開始。

13日午後11時35分、味方偵察機が吊光弾を落として目標を示すと36分に金剛が砲撃を始め、その1分後に榛名が続いた。

両戦艦は対艦用の徹甲弾のほか対空用の零式弾、開発されたばかりの三式弾を使った。

発射後に砲弾から飛び散った数百の焼夷(しょうい)弾が航空機を炎上させる効果があった。

東に進み砲撃を加えると反転し、再び攻撃した。

目の前が一瞬見えなくほどに真っ白な閃光(せんこう)を放ち、飛行場から猛火が上がるのを確認する。

ルンガ岬の米軍が探照灯で金剛を見つけて応戦するが砲弾は届かず、逆に金剛の副砲で反撃される始末だったという。

砲撃中止は14日午前零時56分。

両艦で撃った砲弾は966発だった。

飛行場は火炎地獄を化し、多くの施設や滑走路、50機以上の航空機を破壊する戦果をあげる。

直後に重巡「鳥海」なども砲撃に成功している。

これでダメを押したと思ったのだろう。

陸軍第17軍は船で到着する増援部隊と総攻撃を予定していたが、ヘンダーソン飛行場からの攻撃機に増援部隊は全滅させられる。

戦艦で叩いても音をあげないヘンダーソン飛行場。

こうなると機動部隊に頼るしかなくなった。(園田和洋)

 

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空母「飛鷹」

 

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