第1次ソロモン海戦(下) 山本五十六が激怒した重大ミス 戦果に満足し第1目標「米輸送船団」逃す NO.2
第1次ソロモン海戦(下) 山本五十六が激怒した重大ミス 戦果に満足し第1目標「米輸送船団」逃す NO.2
(4/5ページ)【関西歴史事件簿】
第1次ソロモン海戦で沈没したアメリカ巡洋艦「ビンセンス」
しかも艦隊解散直後の10日朝には、重巡「加古」がアメリカ潜水艦の攻撃で沈没する始末。
勝ったようでそうでもない今回の微妙な結果に、作戦の立案当初は「無謀」として連合艦隊の作戦ではないことを条件にしぶしぶ承認した連合艦隊司令長官の山本大将も「こんなものに勲章なんかやれるか」と激怒したという。
ただし、この表向きの戦果はミッドウェーの大敗で意気消沈していた日本軍を大いに盛り上げたため、山本大将の声もかき消されていった。
そして連合艦隊はそんな周囲の熱気に押されるように、次なるガダルカナル島奪回作戦として、空母3隻をソロモン海に派遣した。(園田和洋)
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■当時の国策映画 「翼の凱歌(がいか)」に続いて東宝が昭和18年9月に公開した「決戦の大空へ」は霞ヶ浦の土浦海軍航空隊で訓練する予科練生と、予科練生がたびたび訪れる家族との交流を描いた作品。
挿入歌「若鷲の歌」は大ヒットした。
この作品も「翼の凱歌」と同様、この時は“消耗品”と化していたパイロット募集用のPR映画の特徴が色濃く出ていて、一編の青春・学園ドラマを見ているような、すがすがしい演出が印象的。このため戦闘シーンは出ない。
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ただしこのころにはアメリカとの国力の差を見せ始め、ガダルカナル島からはすでに撤退。
アリューシャン列島の一角、アッツ島でもアメリカ軍との戦いで約3000人弱の守備隊が全員戦死している。このとき大本営発表で「玉砕」の文字が初めて使われた。
ガダルカナルの飛行場。のちに「ヘンダーソン」と名付けられた
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