パールハーバーの誤算(4完) 囁かれる「ルーズベルト陰謀説」…あえて奇襲を受け日本を「悪者」に 5/5
パールハーバーの誤算(4完) 囁かれる「ルーズベルト陰謀説」…あえて奇襲を受け日本を「悪者」に 5/5
(5/5ページ)【関西歴史事件簿】
ルーズベルト米大統領(左)とコーデル・ハル国務長官=「昭和」(講談社)
ただしイタリア・タラント港での空襲や、真珠湾攻撃の半年前、不沈艦といわれたドイツ戦艦「ビスマルク」の追撃戦で見せたイギリス海軍の雷撃効果もあって、航空機の存在はすでに無視できない状況下にはあった。
そんな中で生まれたのが戦艦「大和」だった。
まだ大鑑巨砲主義が圧倒的に主流を占めていた昭和12年11月に着工し、真珠湾攻撃の8日後の12月16日に就役している。
基準排水量が6万4000トン、口径46センチの主砲はいずれもが世界最大であり、アメリカとの艦隊決戦を考えていた日本海軍にとっては最終兵器ともいえる存在だった。
ところが、「大和」の完成も近いころに急速に頭角をあらわしてきた航空主兵論。
真珠湾に続き、12月10日のマレー沖でイギリス新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」など2隻の大型艦を航空機だけで沈め、航空機の優位性を証明したのが、「大和」を生んだ日本という、なんという皮肉な結果。
大和はこのあと戦果をあげることなく、昭和20年4月7日、アメリカ航空隊の攻撃を受けて鹿児島坊ノ岬沖に沈む。
「小生の意見」
全ては、米内光政大臣が右翼が山本の暗殺を企てていることを恐れて平時の「連合艦隊司令長官」に任命したことから日本の運命を狂わせてしまった。
戦時になってから永野軍令部総長は、山本を交代しようとしなかった。
普通の平凡な艦隊派の司令官で良かったのである。
何故かと言えば、日本の基本作戦計画は、台湾、テニアン、サイパン等の絶対国防権を設定し、防備を固めてアメリカ軍を日本近辺で待ち受けて迎撃する計画であった。
勿論、石油を確保のため陸海軍の蘭印作戦と海軍空母部隊のインド洋の出撃で英国に脅威を与えるまでは容認されていた。
つまり、陸海軍は西を目指し、東への進撃は考えていなかった。
それを山本は、東への進撃となるハワイ真珠湾攻撃を立案して海軍参謀部の許可を求めていた。
当時の海軍内部では、誰も賛成しなかった。
しかし、山本は諦めず永野軍令部総長に戦艦大和から参謀を派遣して許可を迫った。
もし、許可されなければ長官を辞任すると脅かした。
この時、永野は辞任を受け入れて別の穏健な長官に変えれば良かったのだが、海軍の身内意識で山本がそこまで言うならと許可してしまった。
如何にも現在の官僚組織に見られるように国家よりも海軍省の省益を優先したものである。
これが日本の悲劇の始まりであった。
そして勝ちに乗じてガダルカナルと言う無名の島に飛行場を建設しようとした。
そこを米軍に発見されて争奪戦が繰り広げられた。
ガダルカナルは、日本海軍の基地ラバウルから、あまりにも遠い距離だった。
ゼロ戦の航続距離ぎりぎりで到達しても10分ぐらいしか戦闘時間がなかった。
従って消耗戦を強いられ日本は多くのベテランのパイロットを失ってしまった。
海軍がもし、当初の基本作戦計画のように台湾、フィリピン、サイパンの絶対国防圏の防備を固めておればもっと長期にわたり、米海軍を食い止めることが出来て、ドイツが敗れた後、米国民の厭戦気分を利用して講和に持ち込めたかも知れない。
陸軍は破竹の勢いで、ベトナム、シンガポール、ビルマ、インドネシアを攻略していた。
海軍の援助があればインド進撃も容易であったろう。
山本が航空機の活躍を見越していたなら、パイロット養成を早くから準備しておけば良かった。
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