パールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命令 4/5
パールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命令
1941年12月7日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃で、炎上して沈む米戦艦(ロイター=共同)
ところが、この日は南米に転勤する一等書記官の送別会が予定されていたため夕方までに8通を翻訳したものの、全員がオフィスをあとにする。
そして14部を受け取ったのは翌7日午前7時、攻撃予定時間の6時間前だった。
宣戦布告にあたる14部は短文だが、文書作成にはタイピストを使わず、キャリア外交官が行うとした政府の指示通りにしたため作業は困難を極め、昨日届いた13部も作成途上だった。
その4時間半後の日本時間8日午前1時半(ワシントンは午前11時半)、真珠湾北方約460キロに迫った機動部隊は攻撃機183機を、その1時間15分後に171機を発艦させている。
山本大将はそのとき、広島・柱島沖に停泊中の連合艦隊旗艦「長門」の作戦室にいた。
山本は対米覚書をアメリカ政府に渡す時間について幕僚に再確認後、目を伏せて微動だにしなかったという。
攻撃機発艦の報告を受けたあとしばらく動きは停滞するが、8日午前3時19分、突然に静けさを破るように作戦室のドアが開くと、「全軍突撃命令であります」と息を切らせた声が室内に響いた。
ハワイ攻撃隊の指揮をとる淵田美津雄中佐機から発信された電文だった。(園田和洋)
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真珠湾攻撃が初めて映画化されたのは、開戦1周年記念として、昭和17年12月3日に公開された「ハワイ・マレー沖海戦」(東宝配給)。監督は山本嘉次郎(かじろう)。特撮技術は円谷英二(つぶらやえいじ)が担当している。
戦艦「長門」
「小生のコメント」
この外務省の遅れは、許し難い。
大使館員は、日米戦争の危機を察知していなかったので呑気に送別会を開いていたのである。
大使館職員たちは、切腹しなければならない。
国家に著しい損害を与え「日本の騙し打ち」として大統領が演説して参戦に反対だった米国民を怒らせてしまった。
米国にいてこの日米開戦について情報を集め、討議していなかったのである。
どこの国の外務省でも必死に情報を集めるだろう。
日本本国の外務省は、何故、至急の機密文書であることを知らせなかったのか?
秘密が漏れるよりも日本の暗号が解読されていたのである。
戦後、英国大使館職員であった、吉田茂が総理になってから、しばらくほとぼりが冷めたころ、この米国外務省員達を昇格させたのである。
だから、今でも外務省職員は、国家のために尽くしていない。
従軍慰安婦問題をほっといて解決の努力をしない。
外務省は、民営化した方が良い。
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