パールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命3/5

 

パールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命

1941年12月7日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃で、炎上して沈む米戦艦(ロイター=共同)

作戦は重大機密事項だけに、鹿児島で訓練を終えた艦隊は大分県・佐伯湾に集結後、北方四島の択捉(えとろふ)島・単冠(ひとかっぷ)湾に向かうが、ここまでは一部の艦隊首脳部にしか作戦のことは知らせていなかった。

 11月22日、機動部隊の20隻以上にも及ぶ艦船が単冠湾に入港。

最後に空母「加賀」が着いた後の23日、搭乗員、乗組員全員に作戦が告げられる。

 一方、日米交渉も最終局面を迎えていた。

 日本軍の中国撤退▽満州国承認▽通商関係の正常化-などが主に話し合われたが、日本が16年7月、フランス領インドシナに進駐したのを機に、イギリスや中国、オランダも経済封鎖に加わる。

 そして11月27日、コーデル・ハル国務長官が突きつけたハル・ノートは、日本軍の中国からの完全撤退のほか、アメリカの支援(日本は敵対)する蒋介石政権の承認や日独伊三国同盟の廃棄を求めるなど、絶縁状ともとれる内容になっていた。

「宣戦布告と開戦」

 これを受けて、日本は12月1日、天皇が出席のもと米英蘭への開戦を決定すると、宣戦布告の時間をワシントン時間で12月7日午後1時(日本時間8日午前3時)としたうえで、開戦は宣戦布告の30分後と申しあわせた。

 現地時間で6日午前6時半(日本時間6日午後8時半)、東郷茂徳外相は駐米日本大使館にハル・ノートに対する覚書を14部に分けて送ることを伝えた電文を送信。

昼過ぎまでに13部を送るが、長大な暗号電文だけに解読だけでも時間がかかった。

 

 

コーデル・ハル 米国務長官

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