パールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命令2/5
パールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命
1941年12月7日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃で、炎上して沈む米戦艦(ロイター=共同)
山本は16年1月、第11航空艦隊参謀長の大西瀧治郎(たきじろう)少将に作戦研究を命じる。
大西はこの後、特攻隊の創設者として知られることになるが、当時から山本同様、海軍きっての飛行機通だった。
山本に作戦立案の可能性を聞かれた大西と、大西が声を掛けた第1航空戦隊航空参謀の源田実(げんだみのる)中佐らが問題にしたのは、真珠湾の水深だった。
通常、魚雷を抱く雷撃機(らいげきき)が高度100メートルから落とした魚雷はいったん水深60メートルまで沈むのだが、
真珠湾の水深は12メートルしかない。
このままでは海底に突き刺さってしまうので、航空機が海面スレスレから魚雷を落とすことで差を詰めるしか方法がなかった。
そこで真珠湾と地形がよく似る鹿児島・錦江湾での訓練では、民家の屋根近くまで高度を落として飛んだことから、周辺の住民から「近ごろの海軍さんはたるんどる」といった声が出るほどだった。
「アメリカの絶縁状」
当初、「投機的だ」と航空機による対艦攻撃の効果に疑問を持っていた海軍軍令部は山本の作戦に難色を見せていたが、
「作戦を認めなければ連合艦隊司令長官を辞める」という山本の固い決意に驚き、渋々ながら認めたのが16年10月19日だった。
一部にしか知らせず実施した猛訓練の結果、魚雷の深度を10メートルまで引き下げるまでに上達すると、出撃間近に考えた魚雷の両側に付けたベニヤ板のヒレが予想以上に浮上効果を上げ、問題を解決する。
大西瀧次郎 海軍中将
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