ミッドウェー海戦(1) 解読された暗号、軍部の奢りで情報がアメリカに筒抜け

【歴史事件簿】
ミッドウェー海戦(1) 解読された暗号、軍部の奢りで情報がアメリカに筒抜け
当時のミッドウエー島 wst1507030005-n1
.当時のミッドウエー島

昭和17(1942)年5月、日本海軍機動部隊は南太平洋・珊瑚海(さんごかい)でアメリカと繰り広げた史上初の空母対決が痛み分けに終わると、息をつく暇もなく北太平洋のミッドウェー島の攻略作戦に乗り出した

4月に東京がアメリカ空母から発進した爆撃機の空襲を受けたため、急いで防衛線を築き敵空母壊滅の必要性に迫られたからだ。

このため珊瑚海で損傷を受けた2隻の空母の復帰を待つことなく、4隻の空母を中心とした艦隊はミッドウェーに向かっていった。

「帝都空襲」

真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃して以来、日本軍はマーシャル諸島、ウェーク島へ進む。

表向きには順調に作戦が進んでいるようにも見えたが、先々ではどこからとなく現れたアメリカの艦載機に常に悩まされた。

そのたびに真珠湾で空母を取り逃したことが、連合艦隊司令長官、山本五十六(いそろく)大将の頭の中にはあったのだろう

「空を制すことが戦いを制する」。

アメリカ空母を撃滅しない限り勝利はないと、日米戦の拠点づくりとして計画されたハワイ上陸の前哨戦に位置づけられたのが、ミッドウェー作戦だった。

まだ総力で勝っているときにミッドウェー島に陸海空で攻撃を仕掛け、そこに現れたアメリカ空母を全力でたたく…という腹づもりだった。

だが、「本当に空母が現れるのか」「島に戦略上の意味がない」「島を占領するより維持する方が難しい」などという理由で陸海軍はともに首を縦に振らなかった。

そこで山本大将が真珠湾攻撃の成功で得た国民的人気を背景に、“進退うかがい”をちらつかせてきたことから、陸軍はともかく海軍は渋々認めるしかなかった。

「小生の感想」

昭和17年4月18日、米空母「ホーネット」を発進シタジエームス・H・ドーリットル陸軍中佐の率いるB25爆撃機16機が京浜、名古屋、神戸などに爆弾を投下した。

被害は少なかったが、慌てた軍令部と陸軍の参謀本部は、両作戦をいそぐ気になり、その日時を連合艦隊の主張どおり6月7日と決定した。

しかし、MI,AL同時作戦は、兵力を分散し大ブロシキを広げる作戦である。

それはまた、絶対にやるべき作戦と言うよりも、日本本土防衛のカッコウを付ける形式的な感じが強い作戦である。

山本五十六は、本土が米機動部隊に奇襲され、海軍が世間の非難攻撃を受けることを異常に恐れていた。

平たく言えば自分の評判を悪くしたくなかった。

その山本の心理に合う作戦ともいえる。

 

5月15日、ソロモン諸島南東部のツラギ(がダルカナル島北側の島)を発進した海軍の飛行艇が、その東方約450浬(833キロ)に米正規空母2隻の機動部隊が西走するのを発見した。

翌日は見つからなかった。

連合艦隊司令部と軍令部は、それは珊瑚海で失った2空母(このころは、ヨークタウンも撃沈したと判断していた)の穴埋めに、豪州カサモア方面に行ったと推定した。

そこから、日本陸海軍の6月上旬のミッドウエー攻略作戦の時は、米空母は出現しないと判断した。

杜撰な判断であり、こう言う驕りが司令長官始め、連合艦隊の参謀達にあり、それが全軍に蔓延してミッドウエイの敗北に繋がった。

特に黒島亀人先任参謀の作戦はひどかった。

敵がいないと頑迷に信じて立案した作戦はひどかった。

黒島ごとき馬鹿仙人参謀に任せた山本の責任は大きい。

 

【歴史事件簿】ミッドウェー海戦(1) 解読された暗号、軍部の奢りで情報がアメリカに筒抜け

東京などに向けて爆撃機を発進させるホーネット

 

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