珊瑚海海戦(下) 史上初「空母対決」の凄まじき攻防…米と“痛み分け”の日本、ついに破竹の進軍止まる  4/4ページ

珊瑚海海戦(下) 史上初「空母対決」の凄まじき攻防…米と“痛み分け”の日本、ついに破竹の進軍止まる  4/4ページ

ここに世界戦史上初めてという空母同士の戦いは終わる。日本側は軽空母の祥鳳を失い、翔鶴も大ダメージを受ける。一方でアメリカもレキシントンが沈没し、ヨークタウンがダメージを負った。

この“痛み分け”ともとれる戦いで、空からの護衛を失った日本軍はポートモレスビーの攻略作戦そのものを延期し、破竹の勢いだった進軍はここに止まる。

しかも少数精鋭で連合国との戦いに挑んできた日本海軍航空隊にとって艦載機81機と、長期間の猛訓練で育ててきた大勢のパイロットを失った影響は小さくなかった。

それは、これからひと月後に始まるミッドウェーでの戦いに大きくのしかかってくることになる。(園田和洋)

当時の国策映画 昭和16年12月、日本がアメリカ、イギリスを中心とする連合国を相手に真珠湾攻撃とともに始めたマレー作戦の全貌をとらえた「マレー戦記」が昭和17年8月に公開されている。

これは日本映画社が現地で撮影したニュース映像を編集したドキュメンタリー映画。マレー半島北端のタイ、マレーシアの国境に上陸すると、イギリス軍と戦いながら南下してシンガポールを陥落させるまでを1時間あまりの映像で紹介している。

当時の日本軍司令官の山下奉文中将が、イギリス軍司令官のアーサー・パーシバル中将に「イエスかノーか!!」と机をたたいて降伏を迫ったという、あのシーンも登場する。

新聞やラジオで大本営発表の戦果は聞けども、現場の状況がいっこうに見えてこない国民はこういった半年遅れの映像で情報を得るしかなかったのだ。

攻撃を受ける「翔鶴」 wst1506120004-p9

攻撃を受ける「翔鶴」

被弾した翔鶴の甲板 wst1506120004-p7

被弾した「翔鶴」の甲板

コメント:連合艦隊では、珊瑚海海戦の反省会を当事者を招集して十分に開くべきだと思うが、連合艦隊司令部は、

珊瑚海海戦の情報を収集して意見交換をすべきだったが全然しようとしなかった。

まさに明治の海軍は、東郷平八郎長官が先頭に立って戦った。それを支えた秋山真之参謀は戦法をよく研究していた。それに比べて昭和海軍は、連合艦隊長官自ら先頭に立って戦ったことがなかった。大和ホテルでフランス料理のフルコースを食べ、渡辺参謀と将棋を指していたのである。黒島参謀を贔屓し、宇垣参謀長やその他の参謀はすることがなかったのである。

この珊瑚海海戦の情報をよく研究しておけば、後のミッドウエー海戦に十分役立つ筈だった。

第一に索敵を十分にする必要があること。第二に爆弾投下によって空母の甲板が破壊されれば、空母に味方の飛行機が着陸出来なくなる。空母「翔鶴」で十分に経験した。第三に空母「瑞鶴」や「翔鶴」の修理は、呉軍港で短期間で修理可能であった。そうすれば慌てずとも6隻の空母が使用できた。では、何故、黒島仙人参謀はミッドウエー島の攻撃日を決めたのか?それは、引き潮だったから陸兵が上陸用意だっただけのことであった。
第4に、アメリカ空母部隊は見事な輪形陣を組み、戦艦や駆逐艦が護衛していた。日本空母部隊は、単独で援護に十分な護衛戦艦や駆逐艦を配備しなかった。
もし、日本空母部隊が輪形陣を組んでいたならその後のミッドウエイで被害をかなり防げたかも知れない。海軍は、真剣に戦っていないような気がする。
もし、日本海軍が負けてしまえば、日本本土の防衛が出来なくなり、重要物質の輸送が出来なくなり敗戦につながると思っていなかったような気がする。兵隊は各自の任務を全うしていたが上級指揮官は、緊張感がないような気がする。

山本長官がいつも将棋を指すのが悪いと言っているのではない。彼の部下の使い方や自分の作戦が受け入れられねば辞任するという脅かしは、真珠湾の時とミッドウエーの時であったが、それなら辞めさせるべきだった。永野軍令部総長が、山本の案を受け入れてしまってから歯車が狂い出した。

兵隊が口にしていた言葉「馬鹿な大将、敵より怖い」ことが、ミッドウエーで実現してしまう。優秀な搭乗員や優秀な整備員が一瞬の内に吹き飛ばされて死んでしまうのである。

 

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